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生きることの むずかしさ ありがたさ

 

 

 

ikiru  

 

 

 

 人間関係を良好に保つには、お互い

 

に気遣いが大切だと思います。ただし、

 

相手に気に入られようとして自分の意

 

見や態度をころころ変えるのは、かえ

 

って失礼に当たります。どうも私は昔

 

から、表面上だけ相手に合わせて話を

 

してしまいます。いけないとは思って

 

いても、気がつけば同じことをしてい

 

ます。私にとって人づきあいは、本当

 

にむずかしいです。  

 

 

 

 

 浄土宗では、我々が住むこの世界を、

 

苦しみ多き世界とし、阿弥陀さまのお

 

られる極楽を、究極の安楽の世界とし

 

ます。阿弥陀さまを信じて「南無阿弥

 

陀佛」と称えれば、極楽に往き生まれ

 

ることができます。私たちが、日々抱

 

えている悩みや苦しみは極楽には存在

 

しません。極楽では様々な能力が身に

 

つきます。その1つに他心通 (たしん

 

つう)というものがあります。これは

 

他人の心の中をすべて読み取ることが

 

できる能力です。この力があれば、お

 

互いを疑ったり憎んだり裏切ったりす

 

ることがなくなります。私たちは相手

 

の気持ちが解らないから苦しむのでは

 

ないでしょうか。隠し立てができない

 

なら素直に生きるだけでいいのです。

 

なんともありがたいと私は感じており

 

ます。  

 

 

 

 悩みも苦しみもない幸福だけの世界

 

に、私は皆さんと共に往きたいです。

 

生きていると、苦しいことも悲しいこ

 

とも、たくさんありますが、生きてい

 

れたからこそ、私たちはお念仏と出会

 

えたのです。南無阿弥陀佛と称えて暮

 

らせていることを、私は何よりありが

 

たいと思っています。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

joyanokane

| 法藏院住職 | 10:14 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
不足を数えず 感謝に生きる

 

 

 

fusoku  

 

 

 

 私たちの欲望には際限がありません。

 

寒さを防ぐ服があっても、また新しい

 

服が欲しくなります。毎日の食事に困

 

っていなくても、食べたい物はたくさ

 

んあります。雨風を防ぐ住まいがあっ

 

ても、より良い環境を求めます。不足

 

を数えれば切りがありません。    

 

 

 

 

 病により視力を失った男性が、私に

 

教えてくださいました。「できなくな

 

ってしまったことを数えるのではなく、

 

できることを数える人生を歩みたい。

 

テレビを観られなくなっても、本を読

 

めなくなっても、私は家族の声を聞く

 

ことができる、話しかけることができ

 

る。世の中には、大切な家族と別れて

 

悲しみにくれる人がたくさんいる。そ

 

んな中で私は、家族に囲まれて暮らし

 

ている。こんなに幸せなことはない。

 

そして、この世を去るその時も、阿弥

 

陀さまにお任せすればいい。『南無阿

 

弥陀佛』とお称えすれば、極楽に救っ

 

てくださるとお聴きした。残りの人生

 

は阿弥陀さまに感謝してお念仏を称え

 

ながら過ごしたい」  

 

 

 

月影

 

 

 

 この方は、毎日欠かさずお念仏をお

 

称えになって極楽へ往かれました。お

 

念仏が、特別な知識や体力が必要な修

 

行であったならこの方には実践できな

 

かったでしょう。しかし、阿弥陀さま

 

を信じ「南無阿弥陀佛」とお称えする

 

だけで救っていただける修行であった

 

からこそ、実践していただけたのです。

 

阿弥陀さまは、私たちを救うために易

 

しい修行をご用意くださいました。共

 

々に阿弥陀さまに感謝して、お念仏を

 

お称えし生きていきましょう。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

| 法藏院住職 | 18:07 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
往生を願って「南無阿弥陀佛」

 

 

 

oujou  

 

 

 

 紅葉狩り、温泉めぐり、テーマパー

 

ク、どこに行くにも良い季節になりま

 

した。しかし、すべての人が行けるわ

 

けではありません。健康状態、経済状

 

態、精神状態、すべてが整ってこその

 

観光です。極楽には、どのような条件

 

が整っていれば往けるのでしょうか。

 

 

 

momiji   

 

 

 

 法然上人のお言葉   

 

  阿弥陀佛の浄土に生まれたいと願

 

  う者は阿弥陀佛の誓願(せいがん)

 

  に随うべきです。  

 

 

 

 阿弥陀佛の浄土とは極楽浄土のこと

 

です。苦しみも、悲しみも、悩みも、

 

怒りも、別れも、争いも、一切ない究

 

極の安楽の世界です。法然上人は「生

 

涯を終えたのち、極楽に生まれたいな

 

らば、阿弥陀佛の誓願に随うべきだ」

 

とおっしゃっています。誓願とは、阿

 

弥陀さまがご修行時代に立てられた誓

 

いのことです。私たちを救うために、

 

四十八の誓願を立て幾度もの生涯をか

 

けて修行を積まれ、すべての誓願を成

 

就されました。その中に「私の国に生

 

まれたいと願って、南無阿弥陀佛と我

 

が名を称える者を必ず救える佛に成る」

 

とあります。誓願に随いお名前をお呼

 

びするだけで救っていただけるのです。

 

極楽に往き生まれることを「往生」と

 

申します。共々に往生を願い、南無阿

 

弥陀佛とお称え致しましょう。  

 

 

 

知恩院 阿弥陀堂

 

 

 

 小さな子どもから、ご年配の方まで、

 

南無阿弥陀佛は称えられます。誰でも

 

称えられるということは、すべての人

 

が往生できるということです。多くの

 

修行の中からお念仏を選んでくださっ

 

たのは、阿弥陀さまです。これほど易

 

しい条件はありません。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

| 法藏院住職 | 10:07 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
拝む姿みな尊し

 

 

 

ogamu  

 

 

 

 阿弥陀さまが創られた世界を極楽

 

申します。病気も災害も戦争も苦しい

 

ことは何一つない究極の安楽の世界で

 

す。極楽は、我々が住むこの世界から

 

遥か西の彼方にあると経典に記されて

 

います。極楽のことを別名、彼岸(ひ

 

がん)と申します。春と秋のお彼岸に

 

は、普段にも増して共々にお念仏をお

 

称えし、極楽(彼岸)に救われること

 

を願いましょう。  

 

 

 

御影

 

 

 

 ある人が「法然上人は勝れた学僧で

 

いらっしゃるので、お称えになるお念

 

仏は、一声一声が阿弥陀さまの御心に

 

適っているのでしょうね」と言いまし

 

た。それを聞いた法然上人は「お念仏

 

の救いというのは、読み書きのできな

 

い者であっても、称えれば必ず極楽に

 

生まれられると信じて、常にお念仏を

 

称える人を対象とするのです」とおっ

 

しゃいました。つまりは、深く仏教を

 

学んでいるかどうかは問題ではありま

 

せん。お念仏を称える者に優劣はない

 

のです。信じて称える者こそ救われる

 

のですから、阿弥陀さまを拝む姿は、

 

みな平等に尊いのです。高僧さまのお

 

称えになるお念仏も、今日初めてお称

 

えになる人のお念仏も、同じお念仏で

 

す。私たちは一様に救われる側の立場

 

なのですから。  

 

 

 

日想観

 

 

 

 秋分の日と前後三日を含めた一週間

 

(9月19日〜25日)を、秋のお彼岸と

 

申します。お彼岸には夕陽が真西に沈

 

みます。夕陽の遥か彼方に極楽がある

 

のです。共々に「南無阿弥陀佛」とお

 

称え致しましょう。そしていつの日か

 

極楽で、亡き人たちと再会し、悲しみ

 

のない日々を過ごしましょう。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

2016.11

 

 

2016.10

 

 

2016.3

 

 

2016.8

 

 

2016.9

 

 

この夏、境内で咲いた蓮のお花です。

 

浄台蓮(じょうだいれん)と申します。

 

 

 

| 法藏院住職 | 17:21 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
思い出話も供養となる

 

 

 

omoide

 

 

 

「今日のことは今日のうちに」という

 

のが、母の口癖でした。やるべきこと

 

を後回しにして、したいことを優先さ

 

せるのが私です。さほど成長しており

 

ませんが、母の言葉を心がけておりま

 

す。何事も先延ばしにすると、結局い

 

つまで経っても成し遂げられないもの

 

です。心と体に余裕のある時は、後回

 

しを避けましょう。  

 

 

 

 

 法然上人は、ご遺言の中で「念仏を

 

信じようとする人は、ただひたすら念

 

仏すべきです」と仰っています。南無

 

阿弥陀佛とお念仏を称えると阿弥陀さ

 

まが極楽に救ってくださると思ってい

 

ても、信じきることは困難です。極楽

 

は存在するのだろうか、阿弥陀さまは

 

本当におられるのだろうかと疑ってし

 

まう私たちに、「念仏を称え続けると

 

信じられるようになる」と法然上人は

 

仰っているのです。お念仏を称える時

 

の唯一の条件は、阿弥陀さまを信じて

 

称えることです。信じきれないなら、

 

ありのままでいいのです。私たちは、

 

心から信じられるように称え続けるの

 

です。信じる心を養うために、日々お

 

念仏をお称え致しましょう。

 

 

 

「今日の念仏は、今日のうちに」  

 

 

 

蓮4

 

 

 

 先立たれた人の言葉を思い出してみ

 

ると、今の自分に届くものがあると思

 

います。きっとそこに生き方のヒント

 

があります。故人を偲んで思い出話を

 

することは、素敵なことです。しかし

 

大切なのは、その言葉を生かすことで

 

す。ご恩に報いるために、先人の言葉

 

の通りに生きてみてはどうでしょうか。

 

それが供養となるのです。

 

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 21:11 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
引接結縁楽(いんじょうけちえんらく)

 

 

 

fushigi  

 

 

 

 不思議とは、不可思議という言葉の

 

略です。思議が不可であるという意味

 

です。つまり、思いはかることができ

 

ない、理解できないということです。

 

この世において、仏さまのことや極楽

 

のことを完全に理解することは、私た

 

ちには到底できません。

 

 

 

 

知恩院 阿弥陀堂

 

 

 

 

 極楽に生まれた方には、様々な楽し

 

みが与えられます。その1つに、引接

 

結縁楽(いんじょうけちえんらく)と

 

いうものがあります。生前に縁を結ん

 

だ人たちを極楽に導くことができると

 

いう楽しみです。この世にいる間は思

 

い通りにならないことばかりですが、

 

極楽では、人知を超えた力がそなわり、

 

遺してきた家族や、縁ある人を導くこ

 

とができるのです。私たちが、お念仏

 

と出会えたのは、先立たれた方々のお

 

導きによるものなのかもしれません。

 

私たちがお念仏を称えて、阿弥陀さま

 

に救っていただけるように、いざなっ

 

てくださっているのかもしれません。

 

この縁を思議することが不可ならば、

 

素直に受け入れるほかありません。私

 

たちが、南無阿弥陀佛と称えて暮らし

 

ているのは、先立たれた方々のお導き

 

なのでしょう。不思議な縁に導かれ、

 

共々にお念仏を称えて暮らしましょう。

 

 

 

 

知恩院の木魚2

 

 

 

 

 縁ある人を極楽に導くことが楽しみ

 

であるのは、再会を望むからです。私

 

たちが、極楽を目指してお念仏を称え

 

ることこそ、先立たれた方々の望みな

 

のです。目には見えず耳にも聞こえま

 

せんが、引接結縁のお導きを信じて、

 

再会の日まで南無阿弥陀佛と申して暮

 

らしましょう。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

  

| 法藏院住職 | 22:58 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
微笑は最良のおくりもの



hohoemi  



 皆さんは、父の日や母の日にプレゼ

ントをなさいますか。ご両親にとって

の最良の贈り物とは何でしょうか。私

は、子供の幸せが一番の贈り物だと思

います。ネクタイやカーネーションも、

もちろん素晴らしい贈り物ですが、何

より喜ばれるのは子供の幸せではない

でしょうか。  




蓮、青空へ



 私の両親は、すでに極楽におります。

父は9年前、母は6年前に往きました。

両親が、今一番望んでいることは、将

来私が、極楽に生まれることだと思い

ます。そのためには、私自身が「どう

か私を極楽にお救いください阿弥陀さ

ま」と願いを込めて、「南無阿弥陀佛」

と称えるほかありません。命ある者に

は必ず死が訪れます。しかし、お念仏

を称える者同士は、阿弥陀さまの極楽

で必ず再会できるのです。両親と再会

のあかつきには、微笑みながら御礼を

言いたいと思います。「生んでいただ

いて、育てていただいて、ありがとう

ございます」と伝えたいと思います。

この時の微笑みこそが何よりの贈り物

だと私は思います。  




tsubomi



 亡き方々の供養のためにお念仏を称

えることは、尊いことです。「どうか

守ってやってください、どうかお救い

ください」と心を込めてお念仏を称え

ることは、本当に素晴らしいことです。

しかし、亡き方々が何より望んでおら

れるのは、私たちが阿弥陀さまに救わ

れることなのです。なぜなら、共に極

楽に生まれて、共に仏と成ることを望

んでおられるからです。私たちが極楽

に生まれること以上の親孝行はないの

ですから。



合掌 南無阿弥陀佛
| 法藏院住職 | 23:05 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
風の薫り



kazenokaori  



 よほど、心にゆとりがないと、風の

薫りを感じることはできないでしょう。

しかし、私たちの心が乱れていても、

初夏の若葉を励ますかのように、風は

そよいでいるのです。




inyou  




 法然上人の御言葉   

  阿弥陀仏を深く信じ、念仏して
  
  極楽に生まれることを願う人は、

  阿弥陀仏をはじめ、あらゆる世

  界の仏、無数の菩薩から守護を

  受け、(中略) 命の終わる時には、

  阿弥陀仏が極楽へお迎えくださ

  るのです。  




 目に見えず、声も聞こえませんが、

「南無阿弥陀佛」とお念仏を称えると、

数え切れないほどの仏さま菩薩さまが、

守護してくださるのです。阿弥陀さま

だけでなく、あらゆる仏さま菩薩さま

です。これほど心強いことが他にある

でしょうか。例えば、善くないことが

続くからといって、多くの神社仏閣を

巡るとか、守り札がないと外を歩けな

いなどとお聞きしますが、お念仏を称

えている方には、お念仏以外のことは

必要ありませんと法然上人はおっしゃ

っています。阿弥陀さまを深く信じて、

極楽に生まれたいと願い、お念仏を称

えてさえいれば、死後は極楽に救われ、

この世においては、守護していただけ

るのです。  





知恩院 阿弥陀堂




 私たちは、阿弥陀さまを疑ってしま

うほどの苦しみに遭遇することがあり

ます。しかし、そんな時こそ、手を合

わせ、お念仏をお称え致しましょう。

あらゆる仏さま菩薩さまが守護してく

ださいます。そして、死後、必ず極楽

にお救いくださいます。誰よりも私た

ちを救いたいと思ってお
られるのは、

阿弥陀さまなのですから。  



合掌 南無阿弥陀佛



 
| 法藏院住職 | 17:40 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
できるかぎり



dekirukoto



「あきらめる」という言葉には「あきら

かに見つめる」という意味があります。

望みを捨てるのではなく、自分を見つめ

自分にできることを探すということでは

ないでしょうか。  



 法然上人のお言葉   

  できる範囲で、悪業(あくごう)を

  とどめなさい。折にふれて、念仏を

  修め、往生を願いなさい。  



 悪業とは、悪い報いをもたらす悪事の

ことです。法然上人は、できる限り悪事

をとどめよ、とおっしゃっています。私

たちは、悪事を一切せずには生きられま

せん。生き物を殺し、そして食し、嘘を

つき、人を裏切る行為をします。つまる

ところ、仏さまのように生きることは、

私たちには出来ません。しかし、できな

いからと言って、あきらめるのではなく

出来るかぎり悪事を減らそうとするべき

だ、とおっしゃっているのです。そして

、折にふれて「南無阿弥陀佛」と称え、

極楽浄土に往き生まれることを願いなさ

いとおっしゃっています。阿弥陀さまの

お力を信じ、お念仏を称えたならば、悪

業多き私たちでも必ずお救いいただけま

す。阿弥陀さまが、悪人を救われるなら

ば、善人であることを喜ばれないはずが

ありません。共々に、少しでも善人を目

指しお念仏をお称え致しましょう。  




大阪城 桜



 生きていると、辛いこともあります。

できないことに直面し、苦しむこともあ

ります。しかし、できることを探して生

きて「南無阿弥陀佛」と称えましょう。

精一杯生きた私たちは、やがて悩みも苦

しみもない極楽浄土に往き生まれるので

すから。 



合掌 南無阿弥陀佛



 
| 法藏院住職 | 17:58 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ありがとう 心に言葉に行動に



arigatou  



 感謝の言葉は、心に思っているだ

けでは相手に伝わりません。心を込

めて声に出して伝えることが大切で

す。  




 法然上人のお言葉     

  心には本願を頼みとして、口に

  は名号を称え、手には念珠をく

  るだけです。常にこれを心がけ

  ることが、必ず極楽に救われる

  ことが叶う、この上ない行です。  




 本願とは、阿弥陀さまが仏に成ら

れる前に立てられた四十八項目の誓

いのことです。阿弥陀さまは「この

誓いが達成できるまで私は仏に成り

ません」と誓われました。いくども

の生と死を繰り返しながら、気が遠

くなる程の歳月のあいだ修行を積ま

れ、ついに仏に成られたのです。つ

まり、すべての本願を達成されたの

です。本願の中に、「私を疑わず、

本願を信じ、極楽に生まれたいと願

って、南無阿弥陀佛と称える者を救

える仏に成る」とあります。 法然上

人は、「本願を信じ、名号を称え、

念珠をくることを心がけることが、

この上ない修行だ」と仰っています。

名号とは、南無阿弥陀佛のことです。

念珠をくるとは、お念仏の数を数え

て、少なくとも、毎日決めた数だけ

のお念仏を称えることです。お念仏

は、時間も場所も姿も選びません。

布団の中、車の中、お風呂の中どこ

ででも結構です。ただし、信じる心

は必要です。共々に本願を信じ、お

念仏をお称え致しましょう。  




知恩院 阿弥陀堂



 言葉は、心を込めて伝えることが

大切です。お念仏も、願いを込めて

称えることが大切なのです。共々に

お称えいたしましょう。「極楽に生

まれたい」その一心で。



合掌 南無阿弥陀佛
| 法藏院住職 | 22:21 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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