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願うこころは 道をつくる

 

 

negau  

 

 

 

 明けましておめでとうございます

 

 

 

 皆さまは、「仏さまに自分の願い事

 

をしてはいけない」と言われたことは

 

ないでしょうか。亡き方の供養だけを

 

するのが仏教だとおっしゃる方がおら

 

れますが、これは私たち僧侶にとって

 

非常に悲しい言葉です。目先の欲望を

 

満たすためだけの願い事はつつしむべ

 

きですが、どうしようもない苦しみか

 

らの救いを求める時は、仏さまにおす

 

がりください。

 

 

 

知恩院 阿弥陀堂

 

 

 

 老いや病や死別など様々な苦しみが

 

私たちを襲います。時間はさかのぼれ

 

ませんし、世界的名医にも治せない病

 

はあります。出会った方とは必ず別れ

 

がやってきますし、断ち切れない悪縁

 

に苦しめられることもあります。世の

 

中は自分ではどうしようもないことば

 

かりです。苦しみから救われたいと願

 

うばかりです。そんな時こそ阿弥陀さ

 

まのお名前をお呼びするのです。阿弥

 

陀さまは、我が名を呼べば必ず救うと

 

おっしゃっています。阿弥陀さまを信

 

じ、極楽に救われたいと思えたなら、

 

それは真っ直ぐに伸びる明るい未来へ

 

の道を得たようなものです。願う心と

 

お念仏という行動がともなえば、極楽

 

に救われるという目標は必ず達成され

 

ます。千里の道も一歩からです。極楽

 

への道も今日のお念仏一声から始まる

 

のです。亡き方の供養のためにも自ら

 

が極楽に救われるためにも、共々に願

 

いを込めてお称え致しましょう。  

 

 

 

夕日

 

 

 

 何度道に迷っても、阿弥陀さまは私

 

たちをお見捨てにはなりません。私た

 

ちを救うために仏さまに成られたので

 

すから。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 07:37 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
前を見ながら 足元 忘れず

 

 

 

maewomite  

 

 

 

 今年も残りわずかとなりましたが、

 

皆様は年始に掲げた目標を達成できま

 

したでしょうか。法の藏1月号では、

 

日課念仏をお勧めしました。まずは、

 

おやすみ前に布団の中で十遍のお念仏

 

をお称えいただいて、のちにはご自身

 

の体調に合わせて日課の数を阿弥陀さ

 

まにお誓いくださいとお伝えしました

 

が、実行いただけましたでしょうか。

 

 

 

知恩院の木魚

 

 

 

 お念仏は、毎日称えないと極楽に救

 

っていただけないわけではありません。

 

阿弥陀さまや極楽の存在を信じる心を

 

育てるために毎日お称えするのです。

 

信心が身について参りますと、人生の

 

苦しみや悲しみを乗り越える力が湧い

 

て参ります。老いる苦しみ、病める苦

 

しみ、死別の悲しみ、数えればきりが

 

ないほど、私たちには苦悩が襲いかか

 

って参ります。しかし、今の苦悩は、

 

この世のものであって極楽には無いの

 

です。もう二度と涙が枯れるまで泣く

 

ことはないのです。そう信じることが

 

出来たなら、今よりも強く生きられる

 

のではないでしょうか。阿弥陀さまの

 

存在を疑い、本当に救われるのだろう

 

かと不安になるのは当然のことです。

 

正直に申しますと私自身も最初から信

 

じきれていたわけではありません。信

 

じきることは難しいのです。だからこ

 

そ信じる心を育てるために日課念仏を

 

お称えするのです。  

 

 

 

知恩院 阿弥陀堂

 

 

 

 阿弥陀さまは我が名を呼べば必ず救

 

うとおっしゃっています。極楽に救わ

 

れることを願い、日課念仏を続ける、

 

これこそが前を見ながら足元を忘れず

 

生きるということではないでしょうか。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 22:30 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
はらはらと 無常を告げる 落ち葉かな

 

 

 

harahara  

 

 

 

 母が息を引き取った病院の前を通る

 

と7年経った今でも涙が出ることがあ

 

ります。極楽にいると解っていても、

 

再会を信じていても、未だに寂しさが

 

込み上げてきます。  

 

 

 

 

 永遠に変わらないものは何一つ無い

 

ということを無常と申します。私たち

 

は無常を感じながら生きています。し

 

かし、大切な人が急に亡くなるとは、

 

あまり想像していないのではないでし

 

ょうか。テレビや新聞で有名人の訃報

 

に接するのと、身近な人が亡くなるの

 

とでは悲しみの度合が違います。この

 

世は無常であると解っていても、いざ

 

それを突きつけられると人は悲しみに

 

押しつぶされそうになるのです。お父

 

様を看取った友人が私に言いました。

 

「亡くなった人が極楽に往くと解って

 

いて、また必ず会えると信じていても

 

こんなに辛いのなら、何処に居るのか

 

解らず二度と会えないと思っている人

 

は、どれほど辛いのだろう」お念仏の

 

教えは、亡き人のために南無阿弥陀佛

 

とお称えすれば阿弥陀さまが亡き人を

 

極楽に救ってくださる、そして私たち

 

がお念仏を称えて暮らしていれば、必

 

ず極楽で亡き人と再会できるというも

 

のです。これが解っていても辛いので

 

す。お念仏の教えをご存知ない方の苦

 

しみを想って二人で涙を流しました。  

 

 

 

ochiba

 

 

 

 落ちる葉のことを、枝から見送る葉

 

も、やがて落葉になるのです。誰一人

 

として死別の苦しみから逃れることは

 

できません。しかし、極楽は永遠に存

 

在し死別の苦しみもありません。共々

 

にお念仏をお称え致しましょう。  

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 20:32 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
苦労して まるくなる人 とがる人

 

 

 

kurou  

 

 

 

 子供の頃、ドラマの主題歌として、

 

「贈る言葉」という曲がテレビから流

 

れていました。「人は悲しみが多いほ

 

ど人には優しくできるのだから」とい

 

う歌詞が、今も忘れられません。当時

 

私はこの言葉を素直に受け入れること

 

が出来ませんでした。両親の離婚を機

 

に住まいを失い、祖母の生家である法

 

藏院に居候をすることになったのです。

 

母子家庭でいつも肩身の狭い思いをし

 

ていました。他人からの心ない言葉に

 

傷つき、心をとがらせることもありま

 

した。そんな私には「悲しみが多いほ

 

ど優しくなれる」とはとても思えなか

 

ったのです。    

 

 

 

arakawa

 

 

 

 人は、自分と人を比べて優劣を競い

 

ます。貧富、学歴、家柄、容姿、能力、

 

数えればきりがありません。しかし、

 

あらゆるものが平等な世界があるとし

 

たらどうでしょう。他人の物を欲しが

 

ることもなく、自分を卑下することも

 

なく、ねたみやひがみがないとすれば

 

どれほど穏やかに暮らせるでしょう。

 

これを実現してくださるのが、極楽と

 

いう世界です。菩薩さまの姿として容

 

姿端麗に生まれ、神通力という様々な

 

力を得て、行く末は仏(ほとけ)にま

 

でしていただける世界です。阿弥陀さ

 

まを信じ、南無阿弥陀佛と称えるだけ

 

で、私たちは平等な世界にお救いいた

 

だけるのです。  

 

 

 

知恩院 阿弥陀堂

 

 

 

 今の私が優しくなれたかどうかは解

 

りませんが、人に同じ苦しみを味わっ

 

て欲しくないとは思っています。だか

 

らこそ、心ない言葉によって心をとが

 

らせている人に「南無阿弥陀佛」を贈

 

りたいと思っています。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 20:57 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ほとけの光 わけへだてなく

 

 

 

hotoke  

 

 

 

 彼岸とは極楽のことを意味します。

 

春と秋のお彼岸には、普段にも増して

 

極楽に救われたいという一心で、共々

 

にお念佛をお称えいたしましょう。

 

 

 

 

 息子さまに先立たれたお母様が私に

 

おっしゃいました。「代われるものな

 

ら代わってやりたかった。私の人生が

 

続くことよりも、あの子の人生が続く

 

ことの方がずっと幸せだったのに、こ

 

んなに早く終わってしまうなんて、こ

 

れから何を楽しみに生きていけばいい

 

のか分からない」むせび泣くお母様に

 

お伝えしました。「もう一度息子さま

 

と共に暮らす方法が1つだけあります。

 

それは南無阿弥陀佛とお称えするので

 

す。お念佛をお称えして暮らせば、阿

 

弥陀さまが必ず極楽にお救いください

 

ます。極楽に救われれば息子さまと共

 

に暮らせるのです。阿弥陀さまはお身

 

体から救いの光を絶えず発しておられ

 

ます。その光は分け隔てなくすべての

 

人に注がれています。私たちには救わ

 

れる機会が平等に与えられているので

 

す」お母様は涙をぬぐって息子さまの

 

遺影を眺めながらおっしゃいました。

 

「本当に極楽があるのなら、もう一度

 

あの子に会いたいです。これからはお

 

念佛を称えて暮らしてみます」お母様

 

は、極楽に救われるためのお念佛を毎

 

日欠かさずお称えになっておられます。  

 

 

 

 

知恩院 阿弥陀堂

 

 

 

 

 人生は不平等そのものです。なぜ自

 

分だけがこんな目に会うのかと思うこ

 

とばかりです。しかし、阿弥陀さまは

 

平等にお救いくださいます。お念佛を

 

お称えして苦悩のない極楽にお救いい

 

ただきましょう。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 19:10 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
日々精進 ご先祖さまに守られて

 

 

 

hibisyoujin  

 

 

 

 義母との同居が始まって1年が経ち

 

ました。義母には、いくつもの障害が

 

あります。当初は、右手右足が動かず

 

歩くことも出来ませんでした。話すこ

 

とも、文字を理解することも出来ず、

 

その上、脳内の状態が優れず予断を許

 

さない状況でした。そんな義母が今で

 

は毎日リハビリに励んでいます。ベッ

 

ドから車椅子へ移ることから始めたリ

 

ハビリは、ついに杖歩行のリハビリに

 

までこぎつけました。通常、脳梗塞を

 

発症した方は6ヶ月ほどで回復が停滞

 

すると言われていますが、医学的見解

 

など私たち家族には関係ありません。

 

たとえ何年かかっても義母には自分の

 

足で歩けるようになって欲しいと思っ

 

ています。  

 

 

 

 

 仏教において精進とは、ひたすら修

 

行に努め励むことを申します。つまり

 

人が見ていようがいまいが修行を続け

 

るということです。たとえるならば、

 

線香が真っ直ぐに燃え続けるようなも

 

のです。線香は、人目を気にせず同じ

 

ペースで燃え続けます。仏道修行に限

 

らず私たちも一度決めたことは最後ま

 

で成し遂げたいものです。  

 

 

 

 

senkou

 

 

 

 

 義母は、続けることの大切さを教え

 

てくれています。今は亡き実母は極楽

 

から見守ってくれています。二人の母

 

に励まされ私はお念佛を称えて暮らし

 

ています。皆様のご先祖さまも、皆様

 

のことを必ず見守ってくださっていま

 

す。ご先祖さまと再会し、御礼を申し

 

上げるには、お念佛を称えて暮らす他

 

ありません。最期の日まで共々にお念

 

佛を称えて暮らしましょう。それが浄

 

土宗の精進です。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

   

| 法藏院住職 | 22:11 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
悩みの種から 花が咲く

 

 

 

nayami  

 

 

 

 悩みは尽きることがありません。解

 

決したとしても、また次の悩みができ

 

ます。実は、悩みの原因は自分自身に

 

あるのです。尽きることのない欲望、

 

思い通りに行かない人生への怒り、つ

 

い繰り返してしまう過ち、これらが悩

 

みの種なのです。  

 

 

 

知恩院 阿弥陀堂

 

 

 

 欲望や怒りや過ちを繰り返す私たち

 

を苦悩から救ってくださるのが阿弥陀

 

さまです。植物の種は、土に植えても

 

必ず咲くという保証はありません。し

 

かし、お念佛は、称えた者すべてが、

 

極楽に生まれることができるのです。

 

「南無阿弥陀佛」とお念佛をお称えし

 

て暮らしていると、命が終わる時に阿

 

弥陀さまがお迎えに来てくださいます。

 

そして、私たちを蓮のつぼみの中に移

 

して極楽にお救いくださいます。その

 

つぼみを極楽の池に浮かべられます。

 

やがて時が満ちると、大輪の花が咲き

 

私たちは親指姫のように花の中から生

 

まれるのです。花の周りには先立たれ

 

た方々が集まっておられます。私たち

 

は悩みや苦しみのない極楽で亡き方々

 

と再会を果たすのです。  

 

 

 

2016.11

 

 

 

 心も体も穏やかで満ち足りた世界で

 

ある極楽に、悩み多き罪深い私たちが、

 

お念佛を称えるだけで救っていただけ

 

るのは、阿弥陀さまが私たちの代わり

 

に修行を積んでくださったからです。

 

阿弥陀さまは、我が名を呼ぶ者を救え

 

る仏に成ると誓われて修行を積まれま

 

した。そして幾度もの生涯をかけて誓

 

いを達成されたのです。共々に南無阿

 

弥陀佛と称えて暮らしましょう。信じ

 

て称えて暮らしたならば、必ず花は咲

 

くのです。   

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

2016.2

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 20:59 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
水たまり ひとつ ひとつに 陽の光

 

 

 

hinohikari  

 

 

 

 雨上がりに境内の蓮鉢に目をやると、

 

時折蓮の葉の上に、おはじきのような

 

水滴が転がっています。一つ一つの水

 

滴に陽の光が降り注ぎ、キラキラと輝

 

きを放ちます。それはまるで、阿弥陀

 

さまの救いの光に照らされている私た

 

ちのようです。     

 

 

 

suiteki

 

 

 

 お釈迦さまのお言葉   

 

  阿弥陀佛の一つ一つの救いの光は、

  

  ありとあらゆる世界を照らし、念

 

  佛を称える者を救い取って捨てる

 

  ことがない      

 

 

 

 阿弥陀さまから放たれる光は、分け

 

隔てなくすべての世界を照らしていま

 

す。しかし、極楽浄土に救われるのは

 

「南無阿弥陀佛」とお念佛を称えた者

 

だけなのです。これは、水たまりや水

 

滴に気づいた人だけが、陽の光を感じ

 

ることができるのと同じように、お念

 

佛に出遇い、称えた者だけが救われる

 

ということです。70億以上いる世界

 

の人々の中で、お念佛の教えに出遇え

 

る方は、いったい何人いるのでしょう

 

か。その中でも、お念佛の教えを信じ

 

て称えている人は、どれほどいるので

 

しょうか。お念佛に出遇えたことに感

 

謝してお称えしたいものです。  

 

 

 

蓮、青空へ

 

 

 

 実は、蓮を育てる上で一番大切なの

 

は、陽当たりです。土や水も大切です

 

が、何より必要なのは陽の光なのです。

 

私たちにとって、食事や睡眠も生きる

 

上では大切ですが、極楽浄土に救われ

 

るためには、何よりお念佛が必要なの

 

です。陽の光を感じたように、お念佛

 

に出遇えたのですから、阿弥陀さまの

 

お力を信じて、共々に南無阿弥陀佛と

 

お称え致しましょう。阿弥陀さまは、

 

必ずお救いくださいます。

 

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 19:25 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
やる気 本気 根気

 

 

 

yaruki  

 

 

 

 何事も始めようと決意してそれを継

 

続するのは、困難なことです。しかし、

 

同じ志を持って励まし合える仲間がい

 

れば、くじけそうな時にも自分を取り

 

戻すことができるのではないでしょう

 

か。同心がいるというのは本当に幸せ

 

なことです。  

 

 

 

 

 法然上人のお言葉  

  

 

  お念仏を、一人こもって称えるこ

 

  とができなければ、仲間と共に称

 

  えなさい  

 

御影

 

 

 

 

 

 日々お念仏を称え続けようと決意し

 

たとしても、環境の変化や精神状態に

 

よって、挫折することもあると思いま

 

す。そんな時に、共にお念仏を称える

 

仲間がいてくれれば、これほど心強い

 

ものはありません。ということは、継

 

続のためには、同心を見つけるのが先

 

決なのかもしれません。子供の頃から

 

何をしても続かない私は、物事を始め

 

る時に、まず仲間を探すようにしてい

 

ます。つまり、やる気が出たら本気で

 

仲間を探します。根気は仲間の声から

 

生まれます。人は弱い生き物です。支

 

え合って生きています。お念仏に限ら

 

ず、一人で継続することができない時

 

は、仲間と支え合って達成していきま

 

しょう。  

 

 

 

 

 5月は気候が不順です。こんな時は

 

心が不安定になりがちです。落ち着き

 

を取り戻すには仲間の声が一番です。

 

継続を望むものがある方は是非頼って

 

みてください。

 

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 19:51 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
こだわり捨てて 心のびやか

 

 

 

kodawari

 

 

 

 

 入学・就職・お引越し、この春から

 

新生活をなさっている方も多いと思い

 

ますが、あまり気負わず、肩の力を抜

 

いて参りましょう。何事も、こうでな

 

いといけないと決めつけてかかると、

 

思い通りにいかなかった時の衝撃が強

 

いものです。まずは、新天地の風習に

 

耳を傾けてみてください。気が楽にな

 

るかもしれません。

 

 

 

 

桜

 

 

 

 

 お念仏は、場所や身なりを選ばない

 

修行です。お仏壇やお墓の前だけで称

 

えていただくものではなく、正装に正

 

座と決まっているわけでもありません。

 

もちろん仏前でお称えいただくことは

 

素晴らしいことですが、浄土宗では、

 

行住坐臥(ぎょうじゅうざが)と申し

 

まして、歩く、とどまる、座る、横に

 

なる、いつどこでどのような姿でお称

 

えしても構わないとお伝えしておりま

 

す。どこでお称えしたとしても、阿弥

 

陀さまを思う気持ちは必ず極楽に届く

 

のです。たとえば、先立たれた方のこ

 

とを思い出すのに、場所や身なりが関

 

係するでしょうか。運転中、食事中、

 

入浴中、就寝中、あらゆるタイミング

 

で思い出されませんか。そんな時にこ

 

そ、南無阿弥陀佛とお称えください。

 

「どうか、あの人に会わせてください」

 

「どうか、私を極楽にお救いください」

 

と願いを込めて阿弥陀さまの御名(みな)

 

をお称えするのが、お念仏です。  

 

 

 

 

higashirokkou

 

 

 

 

 お念仏とは、こうあるべきだという

 

こだわりを捨てて、共々に好きな時に

 

好きなだけ好きな場所で、心のびやか

 

に阿弥陀さまの御名をお称えいたしま

 

しょう。それが南無阿弥陀佛です。

 

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 17:59 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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