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わがこととして

 

 

wagakototoshite  

 

 

 

 幼い頃、ぜんそく発作に苦しむ私に、

 

母が言いました。「代われるものなら

 

代わってやりたい。子どもが苦しむの

 

を見ているくらいなら、自分が苦しむ

 

ほうがよっぽどいい 」。吐く息が白く

 

なるこの季節、母の姿を思い出します。  

 

 

 

 

 阿弥陀さまは、私たちが積むべき修

 

行を代わりにつとめてくださいました。

 

これを代修(だいしゅう)と言います。

 

私たちを、苦しみ多い世界から極楽へ

 

と救うために修行をし、その成果を、

 

「南無阿弥陀佛」の六字に込めてくだ

 

さいました。念仏を称えることにより

 

極楽に生まれることができるのは、阿

 

弥陀さまの代修のおかげなのです。た

 

とえば、大きな屋敷で心静かに何不自

 

由なく暮らすには、かなりの経済力と

 

それを得るための努力が必要です。同

 

じように、仏の世界で暮らすためには、

 

本来とてつもない修行をしなければな

 

りません。しかし、欲望や怒りにまみ

 

れ、怠け心を捨てきれない私たちには、

 

それができません。その結果、今も苦

 

悩の世界に生きているのです。阿弥陀

 

さまは、この苦悩をわがこととして受

 

け止めてくださり、代修により念仏を

 

ご用意くださいました。阿弥陀さまは、

 

「南無阿弥陀佛と我が名を呼べば必ず

 

極楽に救う」とおっしゃっています。  

 

 

 

知恩院 阿弥陀堂

 

 

 

 誰かが救われる話ではなく、自分が

 

救われる話です。どうか仏の言葉を、

 

ひとごとではなく、わがこととしてお

 

聴きください。私たちは、ようやく苦

 

悩の世界を離れ、 安住の地へゆけるの

 

です。共々に念仏をお称えしましょう。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 18:41 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
称えるなかに 仏のまなざし

 

 

toner  

 

 

 

 毎朝、本堂で阿弥陀さまを拝んでい

 

ると、寺を離れて旅先で目が覚めても、

 

手を合わせ、瞳を閉じると、本尊のお

 

顔が浮かんできます。優しいまなざし

 

に励まされ、一日の始まりを温かい気

 

持ちで迎えることができます。

 

 

 

amida

 

 

 

 後悔のない別れはないと言いますが、

 

私たちは、亡き人を想い、過ぎた日を

 

思い、涙を流す日があります。しかし、

 

瞳を閉じれば、大切な人の笑顔が浮か

 

んでくるからこそ、生きていけるので

 

はないでしょうか。その笑顔は、今も

 

私たちに向けられているのです。この

 

世を去った人たちは、決して無になっ

 

たのではありません。ちゃんと生きて

 

おられます。今も見守ってくださって

 

いるのです。励まし、整え、背中を押

 

してくださっています。親が子を育て

 

るように導いてくださっているのです。

 

たとえ天涯孤独になったとしても、私

 

たちは一人ではありません。必ずそば

 

で支えてくださっています。目に見え

 

なくても、声が聞こえなくても、いつ

 

もそばにいてくださいます。そして、

 

私たちと亡き方々を共にお導きくださ

 

っているのが、阿弥陀さまです。すべ

 

ての人を救うために仏に成られた阿弥

 

陀さまが、私たちを見守り導いてくだ

 

さっているのです。  

 

 

 

momiji

 

 

 

 私たちは、阿弥陀さまと共に生きて

 

いるのです。どんな悩みや苦しみから

 

もお救いくださいます。「南無阿弥陀

 

佛」と称えるなかに、仏のまなざしが

 

あります。どうか、念仏をお称えくだ

 

さい。まぶたのうらに、あなたの阿弥

 

陀さまが必ずおられます。

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 17:18 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
光明徧照

 

 

 

光明  

 

 

 

 仲秋の名月を見上げて、同じ月を見

 

ている人のことを想いました。悲しみ

 

の中で泣きながら見ている人、苦しみ

 

の中で汗をぬぐいながら見ている人、

 

暗闇の中で月の光に癒されている人、

 

さまざまな情景が頭の中をかけめぐり

 

ました。そして、手を合わせ、月を拝

 

みました。  

 

 

 

 

 光明(こうみょう)とは、阿弥陀さ

 

まの体から放たれている救いの光のこ

 

とで、徧照(へんじょう)とは、隅々

 

まで照らすという意味です。つまり、

 

阿弥陀さまは、すべての人に救いの手

 

を差しのべておられます。阿弥陀さま

 

は、南無阿弥陀佛と念仏を称えるとお

 

救いくださいます。仏の教えを理解で

 

きるかどうかではなく、救いを求める

 

かどうかが重要なのです。たとえば、

 

薬を飲むのに薬学の知識は必要ありま

 

せん。医師の言葉を信じ、服用するの

 

みです。念仏は阿弥陀さまの言葉を信

 

じ、称えるのみです。薬の効果は人そ

 

れぞれですが、念仏の成果は分け隔て

 

なく、すべての人に平等に与えられま

 

す。私たちは、あらゆる苦しみから救

 

われるのです。これは紛れもない事実

 

です。  

 

 

 

月影

 

 

 

 夜空に浮かぶ月は、分け隔てなく地

 

上を照らしていますが、その輝きに癒

 

されるのは、空を見上げた人だけです。

 

阿弥陀さまの光明は、平等に注がれて

 

いますが、その救いにあずかるのは、

 

念仏を称えた人だけです。私たちは、

 

救われる法を手にしました。空を見上

 

げるのと同じぐらいたやすいことです。

 

涙も汗もぬぐう必要はありません。あ

 

りのままでお称えしましょう。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

| 法藏院住職 | 11:37 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
まごころの おすそわけ

 

 

magokoro  

 

 

 

 私が幼い頃は、今よりもおすそわけ

 

が盛んでした。果物や煮物など、様々

 

なやりとりがあったものです。おすそ

 

わけは、お福分けとも言うそうです。

 

喜びを分かち合う素敵な風習だと思い

 

ます。食べものに限らず、人生の教訓

 

を分かち合うことも大切ではないでし

 

ょうか。

 

 

 

 

はす4

 

 

 

 

 阿弥陀さまは「私を信じ、南無阿弥

 

陀佛と称えれば、必ず極楽に救う」と

 

おっしゃっています。苦悩のない極楽

 

に生まれた人は、たえず家族を見守り

 

極楽に導くことができます。つまり、

 

ふたたび共に暮らすことができるので

 

す。しかし、念仏を称えず死を迎え、

 

死後だれからも念仏を称えてもらえな

 

かった人は、極楽以外の世界に生まれ

 

変わります。たとえ人間に生まれ変わ

 

ることができたとしても、家族や友人

 

のことは忘れてしまい、当然、見守る

 

ことも、導くこともできません。そん

 

な私たちを救うために阿弥陀さまは、

 

南無阿弥陀佛「念仏」を用意してくだ

 

さったのです。私たちは多くの生まれ

 

変わりを繰り返しようやく念仏に出会

 

えたのです。この人生こそは念仏を称

 

えて暮らしましょう。大切な人のこと

 

を忘れてしまうような生き方はせずに、

 

阿弥陀さまの言葉を信じて、共に極楽

 

を目指しましょう。  

 

 

 

 

はす1

 

 

 

 

 念仏とは、阿弥陀さまの「まごころ」

 

がこもった贈り物です。念仏を周りの

 

人にお勧めすることこそ、最高の「お

 

すそわけ」です。究極の安楽の世界に

 

生まれることができる方法を知ったの

 

ですから、この喜びをより多くの方と

 

分かち合いましょう。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 14:32 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ここにいるよ あなたを想っている

 

 

ここにいるよ  

 

 

 

 お盆には多くの家にうかがいます。

 

今までで、一番多かった質問は、ご先

 

祖さまがどこに帰って来られるかとい

 

うものです。わたしが仏壇での読経を

 

終えて振り返ると、「これからお墓に

 

行こうと思うのですが、お墓にはご先


祖さまはいないのですか」と聞かれま

 

す。皆様は、どう思われるでしょうか。 

 

 

 

 

6

 

 

 

 

 うだるような猛暑の日、見晴らしの

 

よい山の上の霊園で、ていねいにお墓

 

の掃除をしている男性に出会いました。

 

見知らぬその方は、湯上りの子どもの

 

体を拭くように、優しくお墓の水気を

 

ぬぐっておられました。そして初対面

 

の私に、こんな話をされました。「こ

 

こに母親がいないことは分かっている

 

んですけどね」。目を丸くする私をよ

 

そに、続けて「極楽ってとこにいるら

 

しいですね。うちのお寺さんが、そう

 

言っておられました。でもね、やっぱ

 

りここにいてくれる気がするんですよ。

 

だから会いに来るんです」とおっしゃ

 

いました。私が「お母さん喜んでおら

 

れるでしょうね」と言うと、「そうで

 

すかね」と照れくさそうに汗をぬぐっ

 

ておられました。  

 

 

 

 

知恩院 阿弥陀堂

 

 

 

 

 普段、亡き方は極楽におられます。

 

しかし、私たちが望めば、いつでも、

 

どこにでも駆けつけてくださいます。

 

そして「ここにいるよ」とおっしゃ

 

っています。時も場所も選ばないの

 

は、いつも私たちのことを想ってお

 

られるからです。仏壇にもお墓にも

 

本堂にも、いつでもどこにでもお見

 

えになります。そして、私たちの心

 

の声を聴き、優しく導いてくださる

 

のです。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

 

 

追記

 

この夏、境内で咲いた蓮の花です。

 

 

 

はす13

はす11

はす7

はす3

はす2

| 法藏院住職 | 21:49 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
善き行いに 善き心

 

 

 

yokiokonai  

 

 

 

 母から受けた最初の教育は、「自分

 

がされて嫌なことを人にしてはいけな

 

い、自分がしてもらって嬉しかったこ

 

とを人にしなさい」というものでした。

 

今も母の声が、耳の奥に残っています。  

 

 

 

 

 母の遺品を整理していた時のことで

 

す。入院中に母が使っていた赤いコッ

 

プを見つけた時、手が止まりました。

 

コップを眺めていると、最期、水も飲

 

めなかった母の姿が目に浮かび涙が溢

 

れてきました。何も出来なかった自分

 

と、母の苦しみを思い出すと、悔しさ

 

と悲しさで、胸が締めつけられそうで

 

した。遺品を前に涙ぐむ私を見た妻は、

 

隣に座り、そっと手を握り、背中をさ

 

すり、一緒に泣いてくれたのです。あ

 

の時ほど、人の優しさが身に沁みたこ

 

とはありません。人は、思いやりのあ

 

る善き行いに癒されて、善き心を持つ

 

のだと思います。そしてそれは、次の

 

善き行いの原動力となるのでしょう。

 

優しさの連鎖が起これば、ほんの少し

 

ずつでも世の中は穏やかになってゆく

 

のではないでしょうか。誰しも支えが

 

必要な時があるものです。そんな時そ

 

ばにいられる人でありたいと私は思い

 

ます。  

 

 

 

 

知恩院 阿弥陀堂

 

 

 

 

 南無阿弥陀佛と称えれば、阿弥陀さ

 

まが極楽に救ってくださることは間違

 

いのないことです。しかし、私たちは

 

死別の苦しみから逃れることができま

 

せん。この世の苦悩に特効薬はないの

 

です。苦しみや悲しみを和らげるのは、

 

人の優しさしかないと思います。でき

 

ることなら、心の中に降る雨に、傘を

 

さしだせるような人になりたいもので

 

す。 

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

  

| 法藏院住職 | 22:27 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ひとつ ひとつ いのち輝く

 

 

 

hitotsu  

 

 

 

 私たちは、尊い命、かけがえのない

 

命という言葉をよく口にしますが、果

 

たしてすべての命についてそう思えて

 

いるでしょうか。自分にとって大切な

 

命は尊く、そうでない命には関心が薄

 

いのではないでしょうか。身近な人の

 

死とそうでない人の死は、比べようが

 

ないほど衝撃が違います。善人の死と

 

悪人の死も決して同じではないはずで

 

す。しかし、阿弥陀さまから見ればひ

 

とつひとつが輝く命なのです。

 

 

 

 

suiteki

 

 

 

 

 誰にも気にかけてもらえないと嘆く

 

方がおられます。夢も希望もないとお

 

っしゃる方がおられます。この世には、

 

人の力ではどうしようもないことが山

 

のようにあります。しかし、阿弥陀さ

 

まは、分け隔てなくすべての命を気に

 

かけ、絶望の淵に立っている人にも救

 

いの手を差し伸べておられます。絶え

 

ずその眼で救いを求める人を探し、絶

 

えずその耳で助けを呼ぶ声を聴き、絶

 

えずその身体から救いの光を放ち続け

 

ておられます。今までも今もこれから

 

も、極楽から見守ってくださっている

 

のです。そして「私の名前を呼びなさ

 

い、南無阿弥陀佛と称えなさい」とお

 

っしゃっています。極楽にお救いくだ

 

さいと願いを込めて、南無阿弥陀佛と

 

お称えすれば、必ずお救いくださいま

 

す。  

 

 

 

 

 私たちは身勝手で不安定で無力です。

 

すべての命を慈しむことはできません。

 

しかし、阿弥陀さまから見ればひとつ

 

ひとつが輝く命なのです。救いを求め、

 

お名前をお呼びすれば、お救いくださ

 

います。ありのままで共にお称え致し

 

ましょう。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

| 法藏院住職 | 17:54 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
少欲知足

 

 

 

syouyoku  

 

 

 

 少欲知足(しょうよくちそく)とは、

 

わずかなもので満足するという意味で

 

す。口にするのは容易いですが、実践

 

するのは大変なことです。例えば、右

 

手に得たものが有りながら、左手にも

 

得たいと望むのが私たちです。欲望に

 

終わりはありません。  

 

 

 

 

 私は炊きたてのご飯が大好きです。

 

幼い頃、身体が弱かった私は、体調を

 

崩すたびお粥ばかり食べていました。

 

そんな私に祖母は「病気になったら健

 

康のありがたみが良く分かる。元気に

 

なったら感謝してご飯を頂きなさい」

 

と教えてくれました。「喉もと過ぎれ

 

ば熱さを忘れる」と言いますが、祖母

 

の教えを守れず、日々あらゆる食べ物

 

に目移りしています。快復してご飯が

 

食べられる幸せを噛みしめていた頃を

 

忘れ、恥ずかしながら強欲に生きてお

 

ります。本当に情けないことです。私

 

自身、常に少欲で生きることはとても

 

出来ませんが、時には日々の生活に感

 

謝する心を持ってこそ、つつましい生

 

活を心がけることができるのだと思っ

 

ています。着るもの、食べ物、住む所、

 

決して当たり前のものではありません。

 

今の生活を有り難いと思う心から、与

 

えられたものに満足する、少欲知足の

 

生き方が始まるのだと思います。  

 

 

 

 

 強欲は妬みを生み、妬みは憎しみを

 

生みます。憎しみは争いを生み、争い

 

は破滅を招きます。少欲知足とは、得

 

ていないものに欲を起こさず、得たも

 

のが少なくても悔やまないことを言い

 

ます。日々与えられたものに感謝する

 

生き方を心がけたいものです。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 22:11 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
新たな出会い よき縁に

 

 

 

aratana  

 

 

 

 皆様は、初めて出会った人と不思議

 

に気が合うことがありませんか。その

 

方とは、この人生では初対面でも、遠

 

い昔、時を共に過ごしていたのかもし

 

れません。実は私たちは、数え切れな

 

いほどの生まれ変わりを繰り返してい

 

ます。多くの生涯の中でつちかわれた

 

良縁は、今生でも結ばれているのです。

 

 

 

大阪城 桜

 

 

 

 小学校に入学してすぐに転校した私

 

は、新しい学校に馴染めず、一人で登

 

下校をしていました。そんなある日、

 

「一緒に帰ろう」と同級生が声をかけ

 

てくれたのです。さらに帰り道で「家

 

に遊びに来ないか」と彼が言ってくれ

 

ました。出迎えてくださったお母さん

 

に何気なく自己紹介をすると、お母さ

 

んは私の顔をじっと見て「あなたのお

 

母さんのお名前は」と聞きました。戸

 

惑いながら母の名前を言うと、慌てて

 

受話器を取られました。なんと、彼の

 

お母さんと私の母は幼馴染だったので

 

す。二人の母は、子ども同士の出会い

 

に運命的なものを感じていました。す

 

でにお互いの両親は他界しましたが、

 

四十年の歳月を経た今も、彼とは時を

 

共に過ごしています。親子二代に渡る

 

不思議なご縁は、私にとってかけがえ

 

のない良縁です。  

 

 

 

 

 私たちは、様々な世界を様々な生き

 

物として生まれ変わり、そして今、人

 

として暮らしています。今生での出会

 

いは、遠い昔からのご縁によるものか

 

もしれません。よき縁になるかどうか

 

は、私たちしだいです。共々に良縁に

 

感謝し、大切に育んで参りましょう。

 

よき縁こそが人生の杖となるのです。

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 20:32 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
寒さ越え 山笑うころ 春彼岸

 

 

 

samusa  

 

 

 

 お彼岸には、お墓参りや先祖供養を

 

なさるかと思います。ご恩に報いるた

 

め、亡き方の幸せを祈るため、家族の

 

無事を願うためなど、理由は人それぞ

 

れだと思います。私は、供養とは見守

 

ってくださっていることに気づかせて

 

いただくためのものだと思っています。  

 

 

 

yama

 

 

 

 山の笑顔に気づく人は、普段から山

 

の存在を意識して暮らしている人だと

 

思います。山はいつもそこにあるのに、

 

私たちはあまり意識せずに暮らしてい

 

るように思います。ご先祖さまも亡き

 

方も、山のようにいつも私たちを見守

 

ってくださっています。私たちが辛い

 

時には共に悲しみ、嬉しい時には共に

 

喜び、いつもそばで見守ってくださっ

 

ています。それに気づいて暮らすこと

 

が出来れば、これほど心強いことはな

 

いのですが、私たちはあまり意識せず

 

に暮らしています。そして時には、眠

 

れないほどの孤独を感じ、凍えるよう

 

な日々を過ごしています。 そんな時、

 

ご先祖さまや亡き方の見守りに気づけ

 

たならば、どれほど生きる支えとなる

 

でしょう。雪解けの春の陽射しのよう

 

に、微笑みかけてくださっていること

 

に気づけたならば、私たちは強く生き

 

ていけるのではないでしょうか。共々

 

に、見守りを感じる春彼岸でありたい

 

と思います。  

 

 

 

 

 慈しみの心で見守ってくださってい

 

るのは、私たちが願ったからではあり

 

ません。願う以前から、そして今も、

 

これからも見守ってくださっているの

 

です。そのことに気づくことが、生き

 

る支えになるのではないでしょうか。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

| 法藏院住職 | 08:59 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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