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水に源あり 樹に根あり

 

 

 

mizu  

 

 

 

 尋源培根(じんげんばいこん)とい

 

う言葉があります。訓読すると、源を

 

尋ね根を培(つちか)うとなります。

 

原点を再確認し本分を尽くすという意

 

味です。私たちにとって、源は法然上

 

人の御教えであり、根はお念仏のこと

 

を申します。  

 

 

 

御影

 

 

 

 法然上人の御教えは、仏教の理解や

 

実践がとぼしい人も救われる教えです。

 

南無阿弥陀佛と阿弥陀さまのお名前を

 

お呼びし、極楽という苦しみのない世

 

界に救っていただく教えです。開宗以

 

前の法然上人は、仏教を完全に理解し、

 

正しく修行を積むことは出来ないと苦

 

しんでおられました。しかし、お念仏

 

の御教えに出会われて、阿弥陀さまが

 

極楽に救ってくださると確信なさった

 

時、感動し涙を流されたのです。そし

 

て、自らが救われることだけに留まら

 

ず、多くの人に伝えようとなさったの

 

です。これが御教えの泉から水が流れ

 

た瞬間です。そして、その水は八百年

 

余りの時を経て、いま私たちのもとに

 

清らかに届けられているのです。この

 

御教えを信じ、何ものにも負けない樹

 

を育てなければなりません。病気とい

 

う吹き荒れる風にも、老化という体力

 

を奪う雨にも、死別という突然襲う悲

 

しみの雷にも負けない、信心の樹を育

 

てなければなりません。

 

 

 

ki

 

 

 

 お念仏を称えるうちに信心の樹は必

 

ず育って参ります。人生の苦難を乗り

 

越えるためには支えが必要です。阿弥

 

陀さまのお力を信じる心こそ生きる支

 

えとなります。共々にお念仏という本

 

分の根を培い信心という樹を育てて参

 

りましょう。

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

| 法藏院住職 | 22:33 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
お念佛からはじまる幸せ

 

 

 

onenbutsu  

 

 

 

 病院で年越しをした方もおられれば、

 

ご家族を亡くして初めてのお正月を迎

 

えられた方もおられると思います。皆

 

様に、少しでも穏やかな日常が訪れま

 

すようにと願うばかりです。  

 

 

 

 

 私は、どうしてもこの世が苦しみ多

 

き世界であると思えて仕方ないのです。

 

仏さまの教えによれば、私たちは今以

 

上の苦しみを、数限りなく味わってき

 

たそうです。多くの生まれ変わりの中

 

で、様々な生き物として、様々な場所

 

で傷つき、悲しみ、苦しんできたので

 

す。しかし、それを思い出せない私た

 

ちは、何度も同じ過ちを繰り返し、苦

 

しみの世界から抜け出せずにいます。

 

もちろん、私自身も思い出せませんし、

 

信じ難いことです。しかしこれを受け

 

入れなければ、仏教を信じることはで

 

きないのだと思います。子どもの頃、

 

母に「勉強は出来るうちにしておかな

 

いと大人になってから後悔する」と言

 

われましたが、まさに今、後悔してお

 

ります。阿弥陀さまは「極楽に生まれ

 

たいと願って南無阿弥陀佛と称えなさ

 

い」とおっしゃっています。自ら称え

 

ずに、そして死後、誰からもお念佛を

 

称えてもらえなかったならば、次の世

 

では、お念佛にさえ出会えないかもし

 

れません。前世を思い出すことが出来

 

ない私たちは、後悔することすらでき

 

ないのです。  

 

 

 

 

amida

 

 

 

 

 私たちは多くの生まれ変わりの中で、

 

ようやく苦しみのない世界に救われる

 

機会を得たのです。今生こそは、お念

 

佛をお称えし、極楽へ参りましょう。

 

真の幸せは、お念佛からはじまるので

 

す。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 00:17 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
南無阿弥陀佛 いまを生きる

 

 

 

imawoikiru  

 

 

 

 ある方が、私におっしゃいました。

 

「先ほど法話の中で、お念仏をお称え

 

すれば、息子も私も阿弥陀さまに極楽

 

へ救っていただける、必ず再会できる

 

とおっしゃいましたが、私は今、寂し

 

くて苦しくてどうしようもないのです。

 

夫に先立たれ、両親を見送り、そして

 

一人息子を亡くしたのです。これから

 

私は何を頼りに生きていけばいいので

 

すか」  

 

 

 

 

 大切な人を亡くすと、言いようのな

 

い喪失感が私たちを襲います。気力を

 

失い、何気ない言葉に傷つき、食事も

 

喉を通らなくなります。しかし、ふさ

 

ぎ込んでばかりはいられません。食べ

 

ていかなくてはなりません。働かなけ

 

ればなりません。この世は本当に残酷

 

だと感じます。「いまを生きる」こと

 

は苦しいことです。私はこのようにお

 

伝えしました。「阿弥陀さまは必ず私

 

たちを助けてくださいます。どんな悩

 

み事にも寄り添い、耳を傾けてくださ

 

います。ありのままで向き合ってみて

 

ください。どうかお念仏をお称えくだ

 

さい。助けてください阿弥陀さまとお

 

名前をお呼びください。阿弥陀さまが

 

必ずお導きくださいます」  

 

 

 

知恩院 阿弥陀堂

 

 

 

 この方は今日も一人で食事をされて

 

います。早朝から仕事に出られます。

 

もちろん、お念仏によって寂しさや苦

 

しみが消え去ったわけではありません。

 

しかし、懸命に、いまを生きておられ

 

ます。ご家族との再会を信じて、お念

 

仏を頼りに生きておられます。私たち

 

は、極楽にお救いいただくその日まで

 

「南無阿弥陀佛と称えて、いまを生き

 

る」ほかないのです。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 10:51 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ぬくもりに やすらぐ

 

 

 

nukumori  

 

 

 

 寒い冬の朝、本堂での読経を終える

 

と、いつも台所にほうじ茶が入れてあ

 

りました。母は、絶妙のタイミングで

 

お茶をいれてくれました。あつ過ぎず、

 

ぬる過ぎず、一息で飲める、ちょうど

 

いい温度でした。その温もりに癒され

 

一日のはじまりを穏やかに迎えていた

 

ことを、今も思い出します。  

 

 

 

ほうじ茶

 

 

 

 亡くなった母に、習っておけばよか

 

ったと思うことはたくさんありますが、

 

一番後悔しているのはお茶のいれ方で

 

す。あまり身内を褒めるのは良くない

 

と思いますが、ほうじ茶に限らず、煎

 

茶もお抹茶も美味しくいれてくれまし

 

た。ごく普通の茶葉ですが、心を込め

 

て注いでくれたお茶には、優しさとい

 

う高級感がありました。今思えばあれ

 

が、「人を思う」ということだったの

 

でしょう。相手のことを思って、人と

 

接するということの大切さを教えてく

 

れていたのだと思います。息が白くな

 

るほどの朝、私は台所のほうじ茶に支

 

えられていました。失ってから親の有

 

り難みを知るようではいけないのだと

 

思いますが、今になって「あたりまえ

 

だと思っていた日常」に、深く感謝し

 

ています。そして「人を思う」難しさ

 

を実感しています。  

 

 

 

 母のように美味しいお茶を入れるこ

 

とは出来ませんが、私にも、誰かのた

 

めに出来ることがあるはずだと思って

 

います。いつの日か、誰かの「やすら

 

ぎ」になれるよう精一杯努力したいと

 

思います。そして、出会った方には、

 

「周りの方を穏やかにするような生き

 

方」をお勧めして参りたいと思います。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

| 法藏院住職 | 08:10 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
曇り夜も月は輝いている

 

 

 

kumoriyoru  

 

 

 

 雲が空を覆っていると、夜の地上は

 

闇に包まれています。しかし、はるか

 

上空に月が存在していないわけではあ

 

りません。当たり前のことですが、時

 

折それを忘れてしまうほど私たちは気

 

が滅入ることがあります。まるで世界

 

に一人とり残されたような感覚になり、

 

心細い夜を過ごします。そんな時、私

 

たちは何を頼りに生きていけばいいの

 

でしょうか。誰に救いを求めればいい

 

のでしょうか。  

 

 

 

 

 いつもご遺族に申し上げます。「亡

 

き方は無くなられたのではありません。

 

お住まいを移されたのです。現住所が

 

変わられたのです。これからは極楽浄

 

土にお住まいになられます。私たちか

 

ら会いに行くことは出来ませんがあち

 

らから会いに来られることはできます。

 

確かにそばにおられます。いつも私た

 

ちを見守ってくださっています。こち

 

らにおられた頃と同じように、いつで

 

も何でも話しかけてください。愚痴も、

 

涙もこぼしてください。これまでも、

 

今も、これからも、ずっとつながって

 

いるのです。それがご縁というもので

 

す。無くなられたのではないのです。

 

確かに存在しておられるのです」  

 

 

 

 

月影

 

 

 

 

 もちろん阿弥陀さまも、亡き方と同

 

じように私たちを見守ってくださって

 

います。極楽浄土という遥か西の彼方

 

にお住まいですが、いつもそばにいて

 

くださいます。曇り夜も月が輝いてい

 

るように、阿弥陀さまも亡き方も、い

 

つもそばで見守ってくださっているの

 

です。どうか忘れないでください。私

 

たちは今もつながっているのです。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 22:12 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
あの人の恩 ありし日を思う

 

 

 

anohito  

 

 

 

 私たちは多くの人に支えられていま

 

す。感謝の気持ちを伝えるためには、

 

何をすべきでしょうか。人それぞれ手

 

段は違うと思いますが、私は、私自身

 

が極楽に救われることこそが、一番の

 

恩返しだと思っています。そして、そ

 

のために日々お念仏を称えて暮らして

 

います。  

 

 

 

 

日想観

 

 

 

 

 9月は祖母が亡くなった月です。命

 

日が近づくと最期の言葉を思い出しま

 

す。当時の私は、寺の運営に関して悩

 

んでいました。祖母は亡くなる1週間

 

前に私を病室に呼び、ベッドに座らせ、

 

眉間にしわを寄せながら、怖い顔をし

 

て私に言いました。「あんたはええか

 

っこしいや、人前でいいところを見せ

 

ようとして見栄を張る。すぐに背伸び

 

をする。出来もせん大きなことを言っ

 

て、叶いもせん夢を語って、ほんまに

 

気をつけんといかん。あんたはあんた

 

のペースでいいから、焦らず地道に努

 

力せんといかん。忘れたらあかんで、

 

よう覚えときや」最期の力を振り絞っ

 

て伝えてくれた言葉には、祖母の優し

 

さが詰まっていました。生涯忘れられ

 

ない言葉です。自己研鑽を疎かにし、

 

寺の発展ばかりに目を向けていた私は、

 

自分を見直し布教を学ぶようになりま

 

した。これ以後「地道に努力」を心が

 

けています。  

 

 

 

 

 阿弥陀さまは「南無阿弥陀佛」と我

 

が名を呼べば必ず救うとおっしゃって

 

います。祖母の言葉を借りるなら、自

 

分のペースで、真面目に積み重ねるの

 

がお念仏だと思います。皆様にも、す

 

べての御恩に報いるためにお念仏をお

 

称えいただけたらと思います。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

 

 

 

追記

 

この夏、境内で咲いた蓮のお花です。

 

昨年は一輪も咲きませんでしたので、

 

喜びもひとしおです。皆様にとって

 

一服の清涼剤になれば幸いです。

 

 

 

24681312910137511

 

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 21:48 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
極楽浄土に思いを馳せる

 

 

 

gokuraku  

 

 

 

 世界的名医にも、治せない病気はあ

 

ります。人生は、思い通りにならない

 

ことばかりです。しかし、私たちが極

 

楽浄土に生まれることを望んで、「南

 

無阿弥陀佛」と称えたならば、阿弥陀

 

さまは必ずお救いくださるのです。  

 

 

 

 

 うちのお檀家さまで、今年1月に大

 

病を患われて苦しい思いをなさった方

 

がおられます。一時は死を覚悟したと

 

おっしゃっていました。その時、思わ

 

ず口から出たのは「南無阿弥陀佛」だ

 

ったそうです。普段は、辛いことがあ

 

ると「お父ちゃん、お母ちゃん」とお

 

っしゃっていたそうですが、苦しみの

 

中で死を覚悟した時に出た言葉は、お

 

念仏だったそうです。命が尽きると思

 

った時、私の声が聞こえたとおっしゃ

 

っていました。以前、法話の中でお伝

 

えした「辛い時こそ、南無阿弥陀佛、

 

苦しい時こそ、南無阿弥陀佛」という

 

言葉を思い出してくださったそうです。

 

半年が過ぎ、今は容態も落ち着いてお

 

られますが、依然、予断を許さない状

 

況です。そんな中、毎日ベッドでお念

 

仏をお称えになっておられます。「こ

 

の苦しみは、この世だけのもの、極楽

 

浄土に往ったらしんどいことは何もな

 

い、そう思って称えています」とおっ

 

しゃっていました。まさに、「極楽浄

 

土に思いを馳せて」お念仏をお称えに

 

なっておられます。  

 

 

 

hasu

 

 

 

 ベッドの上からかけてくださったお

 

電話で、私は涙を流しながら御礼を言

 

いました。そして、共々にお念仏をお

 

称えしました。あらためてお念仏の素

 

晴らしさを実感した出来事でした。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 14:57 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
倶会一処

 

 

 

kueissyo  

 

 

 

 境内の蓮の蕾を眺めていると母の笑

 

顔を思い出します。極楽は暑くも寒く

 

もないと申します。さぞ穏やかな気候

 

の中、ひかり輝く大輪の蓮を眺めてい

 

ることでしょう。寂しく思う日もあり

 

ますが、母の息災を感じると再会が楽

 

しみで少し笑顔になれます。  

 

 

 

蓮7

 

 

 

 俱会一処(くえいっしょ)とは、阿

 

弥陀経という経典に記されているお言

 

葉です。ともにひとところで会えると

 

いう意味です。死別により離れた者同

 

士が、極楽で再会を果たすことを意味

 

します。再会の条件は1つです。南無

 

阿弥陀佛と称えて暮らすことです。た

 

とえどんなに辛い別れ方をしたとして

 

も「助けてください阿弥陀さま」と願

 

いを込めて「南無阿弥陀佛」とお称え

 

すれば、亡き人も私たちも、阿弥陀さ

 

まが必ず極楽にお救いくださいます。

 

極楽には、苦しみも悩みも悲しみもあ

 

りません。究極の安楽の世界です。老

 

化も病気も戦争も災害もない世界です。

 

大地も水も空も、すべてが穏やかで、

 

いつも心地よい風が吹いています。花

 

は自ら光りを放ち輝いています。鳥は

 

優雅にさえずり、その声は仏の教えを

 

説いているのです。ただ様々な幸福ば

 

かりを感じるから極楽と呼ばれている

 

のです。そんな場所で私たちは再会を

 

果たすのです。これほど有難いことは

 

他にありません。  

 

 

 

知恩院 阿弥陀堂

 

 

 

 この世で出会った人とは必ず死別の

 

時がやってきます。しかし、南無阿弥

 

陀佛と称えて暮らせば、必ず再会でき

 

るのです。その日を楽しみに、共々に

 

お念仏をお称えして暮らして参りまし

 

ょう。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

| 法藏院住職 | 17:12 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
人柄は その一言に あらわれる

 

 

 

hitogara  

 

 

 

 誰しも、心に刻む一言があるのでは

 

ないでしょうか。私が布教師を志した

 

頃、ある先生がこのようにおっしゃい

 

ました。「一助 (いちじょ) に成れる」

 

このお言葉が、今も私の中で強く生き

 

ています。

 

 

 

suiteki

 

 

 

 一助に成れるとは、例えば、私がお

 

念仏「南無阿弥陀佛」をお檀家さまに

 

お伝えしたと致します。そして、その

 

方が生涯にわたってお念仏をお称えく

 

ださったと致します。するとその方は、

 

必ず阿弥陀さまに救われて極楽浄土に

 

お生まれになられます。極楽浄土にお

 

生まれになられた方は、阿弥陀さまの

 

お導きによって、確実に仏さまに成ら

 

れます。そして、浄土という仏の世界

 

の主(あるじ)に成られます。つまり、

 

お念仏をお伝えするという行為は、一

 

仏一浄土(いちぶついちじょうど)の

 

一助に成れるということです。仏さま

 

は、私たちを苦悩からお救いくださる

 

救済者です。浄土とは、悩み苦しみの

 

ない浄らかなる世界、救済の地です。

 

先生は、救済者と救済の地が増えてい

 

くお手伝いが出来るということを「一

 

助に成れる」と表現なさったのです。

 

かなり次元の違う話ですが例えるなら、

 

お医者さまと病院を増やすお手伝いを

 

するようなものです。  

 

 

 

 

amida

 

 

 

 

 当時私は「この先生は一助に成れる

 

と心から信じておっしゃっている」と

 

感じました。その一言に先生の信仰心

 

とお人柄があらわれておられました。

 

私は今、阿弥陀さまのお力を心から信

 

じて、一仏一浄土の一助と成れるよう、

 

全力で「南無阿弥陀佛」をお伝えして

 

おります。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 21:19 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
心の弦 張り過ぎず ゆる過ぎず

 

 

 

kokoronogen  

 

 

 

 弓や楽器の弦は、まず張り方を覚え

 

て、自分で道具を調え育てていくこと

 

が大切なのだそうです。私たちの心も

 

自身で調え、そして育てていくべきな

 

のだと思います。  

 

 

 

 法然上人のお言葉       

 

  時には特別な時間を設けて念仏を

 

  申して、心も体も奮い起こし、調

 

  え、自身を念仏へと誘うべきです。  

 

 

 

 私は幼い頃から物事が続かず、母に

 

「堪え性がない」と言われていました。

 

未だに性格は変わらず、達成できない

 

目標がいくつもあります。また、一時

 

的に張り切り過ぎて体調を崩すことも

 

多々あります。恥ずかしいことですが、

 

お念仏に関しても同じことが言えます。

 

忙しさにかまけて、お念仏が二の次に

 

なってしまうことがあります。そんな

 

時私は、法然上人のお言葉を思い出し

 

ます。 朝夕のおつとめのお念仏ではな

 

く、特別に時間を設けて自身をお念仏

 

に誘うための別時念仏(べつじねんぶ

 

つ)という修行を積みます。時間の許

 

す限り好きなだけ南無阿弥陀佛とお称

 

えします。阿弥陀さまは我が名を呼べ

 

ば必ず極楽に救うとおっしゃっていま

 

す。私にとって別時念仏とは、今の苦

 

しみや悲しみは今だけのものであって、

 

極楽に救われれば味わうことはないの

 

だと再確認できる時間です。そして、

 

あらためてお念仏の継続を誓い、生活

 

の最優先に戻すための時間です。  

 

 

 

知恩院の木魚2

 

 

 

 心の弦は自分で張り方を覚えて、時

 

には張り直すことが大切なのではない

 

でしょうか。お念仏のみならず日々の

 

生活を見直し、時には共々に心の弦の

 

張り直しを致しましょう。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 20:57 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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