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咲いて散って また咲く準備

 

 

 

saitechitte  

 

 

 

 鉢植えの蓮は毎年植え替えが必要で

 

す。もう間もなくその時期がやってき

 

ます。真夏に大輪の花を咲かせた蓮は、

 

枯れたのち泥の中で少しずつ蓮根が育

 

ち、冬を越すのです。そして、春には

 

古い土から新しい土へと住まいを移し、

 

再び夏の日差しの中、花を咲かせます。

 

私たちも蓮と同じように、やがて住ま

 

いを移す時がやってくるのです。  

 

 

 

 

 先月、義母が亡くなりました。4年

 

間、在宅介護をしていたので、義理の

 

母とは思えず、実の母を見送った心境

 

です。涙することもありますが、極楽

 

にいると思うと少し気持ちが和らぎま

 

す。母はこの世を去りましたが、消え

 

てなくなったのではありません。極楽

 

の池の上で、蓮の花につつまれて咲く

 

準備をしています。  

 

 

 

はす6

 

 

 

 「散るさくら 残るさくらも 散る

 

さくら」という御歌があります。さく

 

らの枝には、風に吹かれて散る花びら

 

と、残る花びらがありますが、残った

 

花びらもやがて散るのだという御歌で

 

す。私たちも花びらと同じように、家

 

族を見送り、そして自分が見送られる

 

日がやってきます。世の常とは申しま

 

しても本当に辛いことです。  

 

 

 

大阪城 桜

 

 

 

 しかし、決して辛いことばかりでは

 

ありません。南無阿弥陀佛と称えると

 

阿弥陀さまが極楽に救ってくださいま

 

す。死別は、逝く者も残る者も苦しみ

 

をともないますが、それだけではあり

 

ません。念仏を称える者は、極楽で花

 

開き、残された者を導く存在として生

 

まれるのです。共々に、花咲き誇る蓮

 

池を想い、お導きを信じて生きていき

 

ましょう。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 20:12 | comments(0) | - | pookmark |
心は同じ 花のうてなぞ

 

 

 

kokoroha  

 

 

 

 今月8日は母の命日です。亡くなっ

 

て10年が経ちました。思い出すと辛

 

いこともありますが、母との約束が生

 

きる支えになっています。春秋のお彼

 

岸は、極楽に想いを馳せるためのもの

 

ですが、私にとっては約束を再確認す

 

る季節です。皆さまは、どのようなお

 

気持ちでお過ごしになるのでしょうか。  

 

 

 

 

 こころは同じ花のうてなぞとは、極

 

楽に生まれることを願い念仏を称える

 

者同士は、やがて花のうてなで、再会

 

できるのですよ、という御歌です。う

 

てなは、「台」と書きます。蓮の台座、

 

蓮台(れんだい)のことです。私たち

 

は、極楽で蓮の花から生まれるのです

 

が、その花の中央に蓮台があります。

 

「花のうてな」は再会の場所「極楽」

 

を示しています。  

 

 

 

 

はす1

 

 

 

 

 「あの世から この世は 見えて 

 

さし向かい」という御歌があります。

 

私たちから極楽の様子は見えませんが、

 

極楽から私たちの様子は常に見えてお

 

ります。透き通る池の上で、蓮台に乗

 

り私たちを見守ってくださっています。

 

そして、導いてくださっているのです。

 

このお彼岸には、念仏を称え、大切な

 

亡き方とこころを通わせましょう。  

 

 

 

 

 私は母と、極楽での再会を約束しま

 

した。つまり念仏を称え続けることを

 

約束したのです。時に人生は、冬のよ

 

うに厳しく辛いものですが、春の来な

 

い冬がないように、念仏を称えていれ

 

ば、極楽に生まれることは間違いあり

 

ません。先立った人たちや、残してい

 

く人たちとの再会を楽しみに、日々念

 

仏を称えて暮らして参りましょう。

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

| 法藏院住職 | 07:35 | comments(2) | - | pookmark |
よく聞き考え 自分のものに

 

 

 

yokukiki  

 

 

 

 亡くなった父の言葉が、最近ようや

 

く受け入れられるようになってきまし

 

た。若い頃は聞く耳を持てず、反発ば

 

かりしていましたが、今になって思う

 

と、私のために言ってくれていたのだ

 

と感謝することがあります。中でもよ

 

く言われたのは「本を読め、文字を書

 

け、人に会え」でした。気がつけば、

 

後輩に同じことを言っています。   

 

 

 

御影

 

 

 

 法然上人は「ただひたすら念仏する

 

べきです」とおっしゃっています。こ

 

れは、極楽に生まれることが私たちに

 

とって何よりの幸せだからです。家族、

 

友人、恋人とは、どんなに離れたくな

 

くても、必ず別れの日がやってきます。

 

今の幸せは長くても百年の幸せです。

 

この世に永遠の幸せはありません。し

 

かし、共に念仏を称えて暮らしていれ

 

ば、大切な人とは極楽で再会できるの

 

です。  

 

 

 

 よく考えてみてください。幸せだと

 

思う時間が、極楽で永遠に続くのだと

 

したらどうですか。病気も老化も災害

 

も戦争もない世界で、大好きな人と穏

 

やかに暮らせるとしたら、そのために

 

必要な行動こそが最優先ではないでし

 

ょうか。それこそが「南無阿弥陀佛」

 

と称える念仏なのです。  

 

 

 

 法然上人の言葉を素直に聞き、本当

 

の幸せについて考え、念仏を称えて暮

 

らしていれば、教えを自分のものにし

 

たと言えるでしょう。どうか、共に極

 

楽に生まれたい人に念仏をお勧めくだ

 

さい。共に称えることによりその人と

 

の幸せは、永遠のものになります。た

 

だひたすら念仏を称えることこそ、私

 

たちがなすべきことです。

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

| 法藏院住職 | 21:10 | comments(4) | - | pookmark |
「おはよう」笑顔かがやく

 

 

 

ohayou  

 

 

 

 元気に挨拶をすることは、相手が笑

 

顔になる、とても素敵なことです。良

 

好な関係を築くきっかけになるのでは

 

ないでしょうか。一日に一つだけでも

 

何か善い行いをすることを「一日一善」

 

と言いますが、「おはよう」は一善と

 

言えるでしょう。ほんのささいなこと

 

ですが、お互いに心がけたいものです。  

 

 

 

 

 善い行いといえば、なんといっても

 

「南無阿弥陀佛」と称える念仏です。

 

一日に一度は、念仏を称える時間を持

 

ちたいものです。私はこれを「一日一

 

念」とお伝えしております。念仏は、

 

時間も場所も服装も選びませんので、

 

いつどこでどんな姿で称えていただい

 

ても構いません。「南無阿弥陀佛」と

 

阿弥陀さまのお名前をお称えし、極楽

 

への救いを求めましょう。  

 

 

 

 

 ただ、そうは申しましても、毎日、

 

阿弥陀さまを想い、かかさず念仏を称

 

えるのは、本当に大変なことです。私

 

たちの日常は決して穏やかな日ばかり

 

ではありません。体調の悪い日も、機

 

嫌の悪い日もあります。反対に、趣味

 

や娯楽に熱中し、忘れてしまうことも

 

あるでしょう。喜怒哀楽の人生で、念

 

仏どころではないという日もあります。  

 

 

 

 

amida

 

 

 

 

 しかし、そんな私たちでも阿弥陀さ

 

まは、決して見捨てたりなさいません。

 

念仏する者を見守り、極楽に救いとっ

 

てくださるのです。挨拶は人と人とを

 

つなぐもので、念仏は阿弥陀さまと私

 

たちをつないでくれるものです。 どう

 

か、阿弥陀さまとのご縁を結んでくだ

 

さい。今年も「一日一念」、共々にお

 

称えいたしましょう。 

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 07:39 | comments(0) | - | pookmark |
わがこととして

 

 

wagakototoshite  

 

 

 

 幼い頃、ぜんそく発作に苦しむ私に、

 

母が言いました。「代われるものなら

 

代わってやりたい。子どもが苦しむの

 

を見ているくらいなら、自分が苦しむ

 

ほうがよっぽどいい 」。吐く息が白く

 

なるこの季節、母の姿を思い出します。  

 

 

 

 

 阿弥陀さまは、私たちが積むべき修

 

行を代わりにつとめてくださいました。

 

これを代修(だいしゅう)と言います。

 

私たちを、苦しみ多い世界から極楽へ

 

と救うために修行をし、その成果を、

 

「南無阿弥陀佛」の六字に込めてくだ

 

さいました。念仏を称えることにより

 

極楽に生まれることができるのは、阿

 

弥陀さまの代修のおかげなのです。た

 

とえば、大きな屋敷で心静かに何不自

 

由なく暮らすには、かなりの経済力と

 

それを得るための努力が必要です。同

 

じように、仏の世界で暮らすためには、

 

本来とてつもない修行をしなければな

 

りません。しかし、欲望や怒りにまみ

 

れ、怠け心を捨てきれない私たちには、

 

それができません。その結果、今も苦

 

悩の世界に生きているのです。阿弥陀

 

さまは、この苦悩をわがこととして受

 

け止めてくださり、代修により念仏を

 

ご用意くださいました。阿弥陀さまは、

 

「南無阿弥陀佛と我が名を呼べば必ず

 

極楽に救う」とおっしゃっています。  

 

 

 

知恩院 阿弥陀堂

 

 

 

 誰かが救われる話ではなく、自分が

 

救われる話です。どうか仏の言葉を、

 

ひとごとではなく、わがこととしてお

 

聴きください。私たちは、ようやく苦

 

悩の世界を離れ、 安住の地へゆけるの

 

です。共々に念仏をお称えしましょう。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 18:41 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
称えるなかに 仏のまなざし

 

 

toner  

 

 

 

 毎朝、本堂で阿弥陀さまを拝んでい

 

ると、寺を離れて旅先で目が覚めても、

 

手を合わせ、瞳を閉じると、本尊のお

 

顔が浮かんできます。優しいまなざし

 

に励まされ、一日の始まりを温かい気

 

持ちで迎えることができます。

 

 

 

amida

 

 

 

 後悔のない別れはないと言いますが、

 

私たちは、亡き人を想い、過ぎた日を

 

思い、涙を流す日があります。しかし、

 

瞳を閉じれば、大切な人の笑顔が浮か

 

んでくるからこそ、生きていけるので

 

はないでしょうか。その笑顔は、今も

 

私たちに向けられているのです。この

 

世を去った人たちは、決して無になっ

 

たのではありません。ちゃんと生きて

 

おられます。今も見守ってくださって

 

いるのです。励まし、整え、背中を押

 

してくださっています。親が子を育て

 

るように導いてくださっているのです。

 

たとえ天涯孤独になったとしても、私

 

たちは一人ではありません。必ずそば

 

で支えてくださっています。目に見え

 

なくても、声が聞こえなくても、いつ

 

もそばにいてくださいます。そして、

 

私たちと亡き方々を共にお導きくださ

 

っているのが、阿弥陀さまです。すべ

 

ての人を救うために仏に成られた阿弥

 

陀さまが、私たちを見守り導いてくだ

 

さっているのです。  

 

 

 

momiji

 

 

 

 私たちは、阿弥陀さまと共に生きて

 

いるのです。どんな悩みや苦しみから

 

もお救いくださいます。「南無阿弥陀

 

佛」と称えるなかに、仏のまなざしが

 

あります。どうか、念仏をお称えくだ

 

さい。まぶたのうらに、あなたの阿弥

 

陀さまが必ずおられます。

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 17:18 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
光明徧照

 

 

 

光明  

 

 

 

 仲秋の名月を見上げて、同じ月を見

 

ている人のことを想いました。悲しみ

 

の中で泣きながら見ている人、苦しみ

 

の中で汗をぬぐいながら見ている人、

 

暗闇の中で月の光に癒されている人、

 

さまざまな情景が頭の中をかけめぐり

 

ました。そして、手を合わせ、月を拝

 

みました。  

 

 

 

 

 光明(こうみょう)とは、阿弥陀さ

 

まの体から放たれている救いの光のこ

 

とで、徧照(へんじょう)とは、隅々

 

まで照らすという意味です。つまり、

 

阿弥陀さまは、すべての人に救いの手

 

を差しのべておられます。阿弥陀さま

 

は、南無阿弥陀佛と念仏を称えるとお

 

救いくださいます。仏の教えを理解で

 

きるかどうかではなく、救いを求める

 

かどうかが重要なのです。たとえば、

 

薬を飲むのに薬学の知識は必要ありま

 

せん。医師の言葉を信じ、服用するの

 

みです。念仏は阿弥陀さまの言葉を信

 

じ、称えるのみです。薬の効果は人そ

 

れぞれですが、念仏の成果は分け隔て

 

なく、すべての人に平等に与えられま

 

す。私たちは、あらゆる苦しみから救

 

われるのです。これは紛れもない事実

 

です。  

 

 

 

月影

 

 

 

 夜空に浮かぶ月は、分け隔てなく地

 

上を照らしていますが、その輝きに癒

 

されるのは、空を見上げた人だけです。

 

阿弥陀さまの光明は、平等に注がれて

 

いますが、その救いにあずかるのは、

 

念仏を称えた人だけです。私たちは、

 

救われる法を手にしました。空を見上

 

げるのと同じぐらいたやすいことです。

 

涙も汗もぬぐう必要はありません。あ

 

りのままでお称えしましょう。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

| 法藏院住職 | 11:37 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
まごころの おすそわけ

 

 

magokoro  

 

 

 

 私が幼い頃は、今よりもおすそわけ

 

が盛んでした。果物や煮物など、様々

 

なやりとりがあったものです。おすそ

 

わけは、お福分けとも言うそうです。

 

喜びを分かち合う素敵な風習だと思い

 

ます。食べものに限らず、人生の教訓

 

を分かち合うことも大切ではないでし

 

ょうか。

 

 

 

 

はす4

 

 

 

 

 阿弥陀さまは「私を信じ、南無阿弥

 

陀佛と称えれば、必ず極楽に救う」と

 

おっしゃっています。苦悩のない極楽

 

に生まれた人は、たえず家族を見守り

 

極楽に導くことができます。つまり、

 

ふたたび共に暮らすことができるので

 

す。しかし、念仏を称えず死を迎え、

 

死後だれからも念仏を称えてもらえな

 

かった人は、極楽以外の世界に生まれ

 

変わります。たとえ人間に生まれ変わ

 

ることができたとしても、家族や友人

 

のことは忘れてしまい、当然、見守る

 

ことも、導くこともできません。そん

 

な私たちを救うために阿弥陀さまは、

 

南無阿弥陀佛「念仏」を用意してくだ

 

さったのです。私たちは多くの生まれ

 

変わりを繰り返しようやく念仏に出会

 

えたのです。この人生こそは念仏を称

 

えて暮らしましょう。大切な人のこと

 

を忘れてしまうような生き方はせずに、

 

阿弥陀さまの言葉を信じて、共に極楽

 

を目指しましょう。  

 

 

 

 

はす1

 

 

 

 

 念仏とは、阿弥陀さまの「まごころ」

 

がこもった贈り物です。念仏を周りの

 

人にお勧めすることこそ、最高の「お

 

すそわけ」です。究極の安楽の世界に

 

生まれることができる方法を知ったの

 

ですから、この喜びをより多くの方と

 

分かち合いましょう。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 14:32 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ここにいるよ あなたを想っている

 

 

ここにいるよ  

 

 

 

 お盆には多くの家にうかがいます。

 

今までで、一番多かった質問は、ご先

 

祖さまがどこに帰って来られるかとい

 

うものです。わたしが仏壇での読経を

 

終えて振り返ると、「これからお墓に

 

行こうと思うのですが、お墓にはご先


祖さまはいないのですか」と聞かれま

 

す。皆様は、どう思われるでしょうか。 

 

 

 

 

6

 

 

 

 

 うだるような猛暑の日、見晴らしの

 

よい山の上の霊園で、ていねいにお墓

 

の掃除をしている男性に出会いました。

 

見知らぬその方は、湯上りの子どもの

 

体を拭くように、優しくお墓の水気を

 

ぬぐっておられました。そして初対面

 

の私に、こんな話をされました。「こ

 

こに母親がいないことは分かっている

 

んですけどね」。目を丸くする私をよ

 

そに、続けて「極楽ってとこにいるら

 

しいですね。うちのお寺さんが、そう

 

言っておられました。でもね、やっぱ

 

りここにいてくれる気がするんですよ。

 

だから会いに来るんです」とおっしゃ

 

いました。私が「お母さん喜んでおら

 

れるでしょうね」と言うと、「そうで

 

すかね」と照れくさそうに汗をぬぐっ

 

ておられました。  

 

 

 

 

知恩院 阿弥陀堂

 

 

 

 

 普段、亡き方は極楽におられます。

 

しかし、私たちが望めば、いつでも、

 

どこにでも駆けつけてくださいます。

 

そして「ここにいるよ」とおっしゃ

 

っています。時も場所も選ばないの

 

は、いつも私たちのことを想ってお

 

られるからです。仏壇にもお墓にも

 

本堂にも、いつでもどこにでもお見

 

えになります。そして、私たちの心

 

の声を聴き、優しく導いてくださる

 

のです。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

 

 

追記

 

この夏、境内で咲いた蓮の花です。

 

 

 

はす13

はす11

はす7

はす3

はす2

| 法藏院住職 | 21:49 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
善き行いに 善き心

 

 

 

yokiokonai  

 

 

 

 母から受けた最初の教育は、「自分

 

がされて嫌なことを人にしてはいけな

 

い、自分がしてもらって嬉しかったこ

 

とを人にしなさい」というものでした。

 

今も母の声が、耳の奥に残っています。  

 

 

 

 

 母の遺品を整理していた時のことで

 

す。入院中に母が使っていた赤いコッ

 

プを見つけた時、手が止まりました。

 

コップを眺めていると、最期、水も飲

 

めなかった母の姿が目に浮かび涙が溢

 

れてきました。何も出来なかった自分

 

と、母の苦しみを思い出すと、悔しさ

 

と悲しさで、胸が締めつけられそうで

 

した。遺品を前に涙ぐむ私を見た妻は、

 

隣に座り、そっと手を握り、背中をさ

 

すり、一緒に泣いてくれたのです。あ

 

の時ほど、人の優しさが身に沁みたこ

 

とはありません。人は、思いやりのあ

 

る善き行いに癒されて、善き心を持つ

 

のだと思います。そしてそれは、次の

 

善き行いの原動力となるのでしょう。

 

優しさの連鎖が起これば、ほんの少し

 

ずつでも世の中は穏やかになってゆく

 

のではないでしょうか。誰しも支えが

 

必要な時があるものです。そんな時そ

 

ばにいられる人でありたいと私は思い

 

ます。  

 

 

 

 

知恩院 阿弥陀堂

 

 

 

 

 南無阿弥陀佛と称えれば、阿弥陀さ

 

まが極楽に救ってくださることは間違

 

いのないことです。しかし、私たちは

 

死別の苦しみから逃れることができま

 

せん。この世の苦悩に特効薬はないの

 

です。苦しみや悲しみを和らげるのは、

 

人の優しさしかないと思います。でき

 

ることなら、心の中に降る雨に、傘を

 

さしだせるような人になりたいもので

 

す。 

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

  

| 法藏院住職 | 22:27 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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