Page: 1/12   >>
ひとつ ひとつ いのち輝く

 

 

 

hitotsu  

 

 

 

 私たちは、尊い命、かけがえのない

 

命という言葉をよく口にしますが、果

 

たしてすべての命についてそう思えて

 

いるでしょうか。自分にとって大切な

 

命は尊く、そうでない命には関心が薄

 

いのではないでしょうか。身近な人の

 

死とそうでない人の死は、比べようが

 

ないほど衝撃が違います。善人の死と

 

悪人の死も決して同じではないはずで

 

す。しかし、阿弥陀さまから見ればひ

 

とつひとつが輝く命なのです。

 

 

 

 

suiteki

 

 

 

 

 誰にも気にかけてもらえないと嘆く

 

方がおられます。夢も希望もないとお

 

っしゃる方がおられます。この世には、

 

人の力ではどうしようもないことが山

 

のようにあります。しかし、阿弥陀さ

 

まは、分け隔てなくすべての命を気に

 

かけ、絶望の淵に立っている人にも救

 

いの手を差し伸べておられます。絶え

 

ずその眼で救いを求める人を探し、絶

 

えずその耳で助けを呼ぶ声を聴き、絶

 

えずその身体から救いの光を放ち続け

 

ておられます。今までも今もこれから

 

も、極楽から見守ってくださっている

 

のです。そして「私の名前を呼びなさ

 

い、南無阿弥陀佛と称えなさい」とお

 

っしゃっています。極楽にお救いくだ

 

さいと願いを込めて、南無阿弥陀佛と

 

お称えすれば、必ずお救いくださいま

 

す。  

 

 

 

 

 私たちは身勝手で不安定で無力です。

 

すべての命を慈しむことはできません。

 

しかし、阿弥陀さまから見ればひとつ

 

ひとつが輝く命なのです。救いを求め、

 

お名前をお呼びすれば、お救いくださ

 

います。ありのままで共にお称え致し

 

ましょう。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

| 法藏院住職 | 17:54 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
少欲知足

 

 

 

syouyoku  

 

 

 

 少欲知足(しょうよくちそく)とは、

 

わずかなもので満足するという意味で

 

す。口にするのは容易いですが、実践

 

するのは大変なことです。例えば、右

 

手に得たものが有りながら、左手にも

 

得たいと望むのが私たちです。欲望に

 

終わりはありません。  

 

 

 

 

 私は炊きたてのご飯が大好きです。

 

幼い頃、身体が弱かった私は、体調を

 

崩すたびお粥ばかり食べていました。

 

そんな私に祖母は「病気になったら健

 

康のありがたみが良く分かる。元気に

 

なったら感謝してご飯を頂きなさい」

 

と教えてくれました。「喉もと過ぎれ

 

ば熱さを忘れる」と言いますが、祖母

 

の教えを守れず、日々あらゆる食べ物

 

に目移りしています。快復してご飯が

 

食べられる幸せを噛みしめていた頃を

 

忘れ、恥ずかしながら強欲に生きてお

 

ります。本当に情けないことです。私

 

自身、常に少欲で生きることはとても

 

出来ませんが、時には日々の生活に感

 

謝する心を持ってこそ、つつましい生

 

活を心がけることができるのだと思っ

 

ています。着るもの、食べ物、住む所、

 

決して当たり前のものではありません。

 

今の生活を有り難いと思う心から、与

 

えられたものに満足する、少欲知足の

 

生き方が始まるのだと思います。  

 

 

 

 

 強欲は妬みを生み、妬みは憎しみを

 

生みます。憎しみは争いを生み、争い

 

は破滅を招きます。少欲知足とは、得

 

ていないものに欲を起こさず、得たも

 

のが少なくても悔やまないことを言い

 

ます。日々与えられたものに感謝する

 

生き方を心がけたいものです。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 22:11 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
新たな出会い よき縁に

 

 

 

aratana  

 

 

 

 皆様は、初めて出会った人と不思議

 

に気が合うことがありませんか。その

 

方とは、この人生では初対面でも、遠

 

い昔、時を共に過ごしていたのかもし

 

れません。実は私たちは、数え切れな

 

いほどの生まれ変わりを繰り返してい

 

ます。多くの生涯の中でつちかわれた

 

良縁は、今生でも結ばれているのです。

 

 

 

大阪城 桜

 

 

 

 小学校に入学してすぐに転校した私

 

は、新しい学校に馴染めず、一人で登

 

下校をしていました。そんなある日、

 

「一緒に帰ろう」と同級生が声をかけ

 

てくれたのです。さらに帰り道で「家

 

に遊びに来ないか」と彼が言ってくれ

 

ました。出迎えてくださったお母さん

 

に何気なく自己紹介をすると、お母さ

 

んは私の顔をじっと見て「あなたのお

 

母さんのお名前は」と聞きました。戸

 

惑いながら母の名前を言うと、慌てて

 

受話器を取られました。なんと、彼の

 

お母さんと私の母は幼馴染だったので

 

す。二人の母は、子ども同士の出会い

 

に運命的なものを感じていました。す

 

でにお互いの両親は他界しましたが、

 

四十年の歳月を経た今も、彼とは時を

 

共に過ごしています。親子二代に渡る

 

不思議なご縁は、私にとってかけがえ

 

のない良縁です。  

 

 

 

 

 私たちは、様々な世界を様々な生き

 

物として生まれ変わり、そして今、人

 

として暮らしています。今生での出会

 

いは、遠い昔からのご縁によるものか

 

もしれません。よき縁になるかどうか

 

は、私たちしだいです。共々に良縁に

 

感謝し、大切に育んで参りましょう。

 

よき縁こそが人生の杖となるのです。

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 20:32 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
寒さ越え 山笑うころ 春彼岸

 

 

 

samusa  

 

 

 

 お彼岸には、お墓参りや先祖供養を

 

なさるかと思います。ご恩に報いるた

 

め、亡き方の幸せを祈るため、家族の

 

無事を願うためなど、理由は人それぞ

 

れだと思います。私は、供養とは見守

 

ってくださっていることに気づかせて

 

いただくためのものだと思っています。  

 

 

 

yama

 

 

 

 山の笑顔に気づく人は、普段から山

 

の存在を意識して暮らしている人だと

 

思います。山はいつもそこにあるのに、

 

私たちはあまり意識せずに暮らしてい

 

るように思います。ご先祖さまも亡き

 

方も、山のようにいつも私たちを見守

 

ってくださっています。私たちが辛い

 

時には共に悲しみ、嬉しい時には共に

 

喜び、いつもそばで見守ってくださっ

 

ています。それに気づいて暮らすこと

 

が出来れば、これほど心強いことはな

 

いのですが、私たちはあまり意識せず

 

に暮らしています。そして時には、眠

 

れないほどの孤独を感じ、凍えるよう

 

な日々を過ごしています。 そんな時、

 

ご先祖さまや亡き方の見守りに気づけ

 

たならば、どれほど生きる支えとなる

 

でしょう。雪解けの春の陽射しのよう

 

に、微笑みかけてくださっていること

 

に気づけたならば、私たちは強く生き

 

ていけるのではないでしょうか。共々

 

に、見守りを感じる春彼岸でありたい

 

と思います。  

 

 

 

 

 慈しみの心で見守ってくださってい

 

るのは、私たちが願ったからではあり

 

ません。願う以前から、そして今も、

 

これからも見守ってくださっているの

 

です。そのことに気づくことが、生き

 

る支えになるのではないでしょうか。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

| 法藏院住職 | 08:59 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
水に源あり 樹に根あり

 

 

 

mizu  

 

 

 

 尋源培根(じんげんばいこん)とい

 

う言葉があります。訓読すると、源を

 

尋ね根を培(つちか)うとなります。

 

原点を再確認し本分を尽くすという意

 

味です。私たちにとって、源は法然上

 

人の御教えであり、根はお念仏のこと

 

を申します。  

 

 

 

御影

 

 

 

 法然上人の御教えは、仏教の理解や

 

実践がとぼしい人も救われる教えです。

 

南無阿弥陀佛と阿弥陀さまのお名前を

 

お呼びし、極楽という苦しみのない世

 

界に救っていただく教えです。開宗以

 

前の法然上人は、仏教を完全に理解し、

 

正しく修行を積むことは出来ないと苦

 

しんでおられました。しかし、お念仏

 

の御教えに出会われて、阿弥陀さまが

 

極楽に救ってくださると確信なさった

 

時、感動し涙を流されたのです。そし

 

て、自らが救われることだけに留まら

 

ず、多くの人に伝えようとなさったの

 

です。これが御教えの泉から水が流れ

 

た瞬間です。そして、その水は八百年

 

余りの時を経て、いま私たちのもとに

 

清らかに届けられているのです。この

 

御教えを信じ、何ものにも負けない樹

 

を育てなければなりません。病気とい

 

う吹き荒れる風にも、老化という体力

 

を奪う雨にも、死別という突然襲う悲

 

しみの雷にも負けない、信心の樹を育

 

てなければなりません。

 

 

 

ki

 

 

 

 お念仏を称えるうちに信心の樹は必

 

ず育って参ります。人生の苦難を乗り

 

越えるためには支えが必要です。阿弥

 

陀さまのお力を信じる心こそ生きる支

 

えとなります。共々にお念仏という本

 

分の根を培い信心という樹を育てて参

 

りましょう。

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

| 法藏院住職 | 22:33 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
お念佛からはじまる幸せ

 

 

 

onenbutsu  

 

 

 

 病院で年越しをした方もおられれば、

 

ご家族を亡くして初めてのお正月を迎

 

えられた方もおられると思います。皆

 

様に、少しでも穏やかな日常が訪れま

 

すようにと願うばかりです。  

 

 

 

 

 私は、どうしてもこの世が苦しみ多

 

き世界であると思えて仕方ないのです。

 

仏さまの教えによれば、私たちは今以

 

上の苦しみを、数限りなく味わってき

 

たそうです。多くの生まれ変わりの中

 

で、様々な生き物として、様々な場所

 

で傷つき、悲しみ、苦しんできたので

 

す。しかし、それを思い出せない私た

 

ちは、何度も同じ過ちを繰り返し、苦

 

しみの世界から抜け出せずにいます。

 

もちろん、私自身も思い出せませんし、

 

信じ難いことです。しかしこれを受け

 

入れなければ、仏教を信じることはで

 

きないのだと思います。子どもの頃、

 

母に「勉強は出来るうちにしておかな

 

いと大人になってから後悔する」と言

 

われましたが、まさに今、後悔してお

 

ります。阿弥陀さまは「極楽に生まれ

 

たいと願って南無阿弥陀佛と称えなさ

 

い」とおっしゃっています。自ら称え

 

ずに、そして死後、誰からもお念佛を

 

称えてもらえなかったならば、次の世

 

では、お念佛にさえ出会えないかもし

 

れません。前世を思い出すことが出来

 

ない私たちは、後悔することすらでき

 

ないのです。  

 

 

 

 

amida

 

 

 

 

 私たちは多くの生まれ変わりの中で、

 

ようやく苦しみのない世界に救われる

 

機会を得たのです。今生こそは、お念

 

佛をお称えし、極楽へ参りましょう。

 

真の幸せは、お念佛からはじまるので

 

す。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 00:17 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
南無阿弥陀佛 いまを生きる

 

 

 

imawoikiru  

 

 

 

 ある方が、私におっしゃいました。

 

「先ほど法話の中で、お念仏をお称え

 

すれば、息子も私も阿弥陀さまに極楽

 

へ救っていただける、必ず再会できる

 

とおっしゃいましたが、私は今、寂し

 

くて苦しくてどうしようもないのです。

 

夫に先立たれ、両親を見送り、そして

 

一人息子を亡くしたのです。これから

 

私は何を頼りに生きていけばいいので

 

すか」  

 

 

 

 

 大切な人を亡くすと、言いようのな

 

い喪失感が私たちを襲います。気力を

 

失い、何気ない言葉に傷つき、食事も

 

喉を通らなくなります。しかし、ふさ

 

ぎ込んでばかりはいられません。食べ

 

ていかなくてはなりません。働かなけ

 

ればなりません。この世は本当に残酷

 

だと感じます。「いまを生きる」こと

 

は苦しいことです。私はこのようにお

 

伝えしました。「阿弥陀さまは必ず私

 

たちを助けてくださいます。どんな悩

 

み事にも寄り添い、耳を傾けてくださ

 

います。ありのままで向き合ってみて

 

ください。どうかお念仏をお称えくだ

 

さい。助けてください阿弥陀さまとお

 

名前をお呼びください。阿弥陀さまが

 

必ずお導きくださいます」  

 

 

 

知恩院 阿弥陀堂

 

 

 

 この方は今日も一人で食事をされて

 

います。早朝から仕事に出られます。

 

もちろん、お念仏によって寂しさや苦

 

しみが消え去ったわけではありません。

 

しかし、懸命に、いまを生きておられ

 

ます。ご家族との再会を信じて、お念

 

仏を頼りに生きておられます。私たち

 

は、極楽にお救いいただくその日まで

 

「南無阿弥陀佛と称えて、いまを生き

 

る」ほかないのです。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 10:51 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ぬくもりに やすらぐ

 

 

 

nukumori  

 

 

 

 寒い冬の朝、本堂での読経を終える

 

と、いつも台所にほうじ茶が入れてあ

 

りました。母は、絶妙のタイミングで

 

お茶をいれてくれました。あつ過ぎず、

 

ぬる過ぎず、一息で飲める、ちょうど

 

いい温度でした。その温もりに癒され

 

一日のはじまりを穏やかに迎えていた

 

ことを、今も思い出します。  

 

 

 

ほうじ茶

 

 

 

 亡くなった母に、習っておけばよか

 

ったと思うことはたくさんありますが、

 

一番後悔しているのはお茶のいれ方で

 

す。あまり身内を褒めるのは良くない

 

と思いますが、ほうじ茶に限らず、煎

 

茶もお抹茶も美味しくいれてくれまし

 

た。ごく普通の茶葉ですが、心を込め

 

て注いでくれたお茶には、優しさとい

 

う高級感がありました。今思えばあれ

 

が、「人を思う」ということだったの

 

でしょう。相手のことを思って、人と

 

接するということの大切さを教えてく

 

れていたのだと思います。息が白くな

 

るほどの朝、私は台所のほうじ茶に支

 

えられていました。失ってから親の有

 

り難みを知るようではいけないのだと

 

思いますが、今になって「あたりまえ

 

だと思っていた日常」に、深く感謝し

 

ています。そして「人を思う」難しさ

 

を実感しています。  

 

 

 

 母のように美味しいお茶を入れるこ

 

とは出来ませんが、私にも、誰かのた

 

めに出来ることがあるはずだと思って

 

います。いつの日か、誰かの「やすら

 

ぎ」になれるよう精一杯努力したいと

 

思います。そして、出会った方には、

 

「周りの方を穏やかにするような生き

 

方」をお勧めして参りたいと思います。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

| 法藏院住職 | 08:10 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
曇り夜も月は輝いている

 

 

 

kumoriyoru  

 

 

 

 雲が空を覆っていると、夜の地上は

 

闇に包まれています。しかし、はるか

 

上空に月が存在していないわけではあ

 

りません。当たり前のことですが、時

 

折それを忘れてしまうほど私たちは気

 

が滅入ることがあります。まるで世界

 

に一人とり残されたような感覚になり、

 

心細い夜を過ごします。そんな時、私

 

たちは何を頼りに生きていけばいいの

 

でしょうか。誰に救いを求めればいい

 

のでしょうか。  

 

 

 

 

 いつもご遺族に申し上げます。「亡

 

き方は無くなられたのではありません。

 

お住まいを移されたのです。現住所が

 

変わられたのです。これからは極楽浄

 

土にお住まいになられます。私たちか

 

ら会いに行くことは出来ませんがあち

 

らから会いに来られることはできます。

 

確かにそばにおられます。いつも私た

 

ちを見守ってくださっています。こち

 

らにおられた頃と同じように、いつで

 

も何でも話しかけてください。愚痴も、

 

涙もこぼしてください。これまでも、

 

今も、これからも、ずっとつながって

 

いるのです。それがご縁というもので

 

す。無くなられたのではないのです。

 

確かに存在しておられるのです」  

 

 

 

 

月影

 

 

 

 

 もちろん阿弥陀さまも、亡き方と同

 

じように私たちを見守ってくださって

 

います。極楽浄土という遥か西の彼方

 

にお住まいですが、いつもそばにいて

 

くださいます。曇り夜も月が輝いてい

 

るように、阿弥陀さまも亡き方も、い

 

つもそばで見守ってくださっているの

 

です。どうか忘れないでください。私

 

たちは今もつながっているのです。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 22:12 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
あの人の恩 ありし日を思う

 

 

 

anohito  

 

 

 

 私たちは多くの人に支えられていま

 

す。感謝の気持ちを伝えるためには、

 

何をすべきでしょうか。人それぞれ手

 

段は違うと思いますが、私は、私自身

 

が極楽に救われることこそが、一番の

 

恩返しだと思っています。そして、そ

 

のために日々お念仏を称えて暮らして

 

います。  

 

 

 

 

日想観

 

 

 

 

 9月は祖母が亡くなった月です。命

 

日が近づくと最期の言葉を思い出しま

 

す。当時の私は、寺の運営に関して悩

 

んでいました。祖母は亡くなる1週間

 

前に私を病室に呼び、ベッドに座らせ、

 

眉間にしわを寄せながら、怖い顔をし

 

て私に言いました。「あんたはええか

 

っこしいや、人前でいいところを見せ

 

ようとして見栄を張る。すぐに背伸び

 

をする。出来もせん大きなことを言っ

 

て、叶いもせん夢を語って、ほんまに

 

気をつけんといかん。あんたはあんた

 

のペースでいいから、焦らず地道に努

 

力せんといかん。忘れたらあかんで、

 

よう覚えときや」最期の力を振り絞っ

 

て伝えてくれた言葉には、祖母の優し

 

さが詰まっていました。生涯忘れられ

 

ない言葉です。自己研鑽を疎かにし、

 

寺の発展ばかりに目を向けていた私は、

 

自分を見直し布教を学ぶようになりま

 

した。これ以後「地道に努力」を心が

 

けています。  

 

 

 

 

 阿弥陀さまは「南無阿弥陀佛」と我

 

が名を呼べば必ず救うとおっしゃって

 

います。祖母の言葉を借りるなら、自

 

分のペースで、真面目に積み重ねるの

 

がお念仏だと思います。皆様にも、す

 

べての御恩に報いるためにお念仏をお

 

称えいただけたらと思います。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

 

 

 

追記

 

この夏、境内で咲いた蓮のお花です。

 

昨年は一輪も咲きませんでしたので、

 

喜びもひとしおです。皆様にとって

 

一服の清涼剤になれば幸いです。

 

 

 

24681312910137511

 

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 21:48 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

Calendar

      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< June 2019 >>

Profile

Search

Entry

Comment

Archives

Link

Feed

Others

無料ブログ作成サービス JUGEM

Mobile

qrcode