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天上天下唯我独尊

 

 

 

tenjou  

 

 

 

 天上天下唯我独尊(てんじょうてん

 

げゆいがどくそん)とは、お釈迦さま

 

がお生まれになられた時、七歩歩まれ、

 

右手で天を、左手で地を指しておっし

 

ゃったお言葉です。全世界で私より尊

 

い者はないという意味です。諸説あり

 

ますがこのお言葉には続きがあります。

 

今ここに生まれてきたが、これが迷い

 

の世界での最後の生であり、再び迷い

 

の世界に生まれ変わることはないとお

 

っしゃっています。つまり必ず仏に成

 

るというお言葉です。唯我独尊は、決

 

して傲慢な言葉ではなく成仏するとい

 

う宣言なのです。  

 

 

 

tanjou
 

 

 

 

 受け入れ難いことですが、実は私た

 

ちは様々な生き物として、多くの生ま

 

れ変わりを繰り返してきたのです。迷

 

いの世界での生まれ変わりを終え、す

 

べての苦悩から解き放たれた存在「仏」

 

に成るための教えが仏教です。お釈迦

 

さまのように、この世で仏に成ること

 

は出来ませんが、極楽に救われるため

 

のお念仏を称えることはできます。極

 

楽は確実に成仏できる世界です。お釈

 

迦さまは、成仏の手段として、極楽や

 

阿弥陀さまの存在を私たちに教えてく

 

ださいました。阿弥陀さまは「我が名

 

を呼べば必ず救う」とおっしゃってい

 

ます。南無阿弥陀佛とお名前をお呼び

 

すれば極楽にお救いくださるのです。

 

共々に極楽に救われることを願ってお

 

称え致しましょう。

 

 

 

2016.16

 

 

 

 多くの生まれ変わりを経て、ようや

 

く私たちに成仏の機会が巡ってきたの

 

です。この好機を無駄にせず共々に極

 

楽にお救いをいただき、成仏を目指し

 

ましょう。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

| 法藏院住職 | 22:43 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
歩みの はやさ それぞれ

 

 

 

ayumi  

 

 

 

 

 春分の日と前後三日を合わせた計七

 

日間を春のお彼岸と申します。彼岸と

 

は、仏さまの住む世界のことを意味し

 

ます。浄土宗におきましては、阿弥陀

 

さまのおられる極楽のことを彼岸とし、

 

普段にも増して極楽に救われることを

 

願ってお念仏に励む念仏強化週間とし

 

ております。  

 

 

 

 

 南無阿弥陀佛とお称えし、阿弥陀さ

 

まにお救いをいただき、極楽に生まれ

 

るというのが、浄土宗の御教えです。

 

言わば、極楽が私たちの目的地です。

 

ただし、道のりは人それぞれです。早

 

く往かれる方もあれば、ゆっくりと歩

 

まれる方もおられます。たどり着かれ

 

る順も違えば、御教えを受け取られる

 

タイミングも違います。すぐに受け入

 

れられる方もいれば、疑う心が強くて

 

時間のかかる方もおられます。しかし、

 

極楽を目指してお念仏を称えていれば、

 

阿弥陀さまを信じる心は自ずとそなわ

 

って参ります。阿弥陀さまが私たちの

 

心を育ててくださるのです。まずは共

 

々にお念仏に出逢えたことを悦び、お

 

称え致しましょう。疑いの心があって

 

も構いません。称え続けることによっ

 

て信じる心は必ずそなわって参ります。  

 

 

 

 

道

 

 

 

 

 誰しも最初から信じきれているわけ

 

ではありません。もちろん私も不安な

 

気持ちのままお称えしておりました。

 

しかし、今は心から阿弥陀さまを信じ、

 

お念仏を称えております。信じること

 

ができたのは日々のお念仏の賜物です。

 

まずは、一日に十遍のお念仏をお称え

 

ください。そのお念仏は、間違いなく

 

彼岸への第一歩となります。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 21:25 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
やさしい言葉を贈ろう

 

 

 

yasashii  

 

 

 

 義母が脳梗塞を発症して2年が経ち

 

ました。当初は、家族の言葉を理解す

 

ることもできず、自分の意思を伝える

 

こともできませんでした。首を縦や横

 

に振っていても、意思とは異なるもの

 

でした。それでも私は精一杯、母に話

 

しかけました。  

 

 

 

 

 やさしい言葉を贈るには、相手が何

 

を必要としているのか、どうすれば楽

 

になるのか、我が身に引き当てて考え

 

ることが大切だと思います。しかし、

 

それがなかなかできないのが私たちで

 

す。阿弥陀さまは私たちを極楽に救う

 

ために、南無阿弥陀佛と称えるお念仏

 

をご用意くださいました。南無は助け

 

てください、阿弥陀佛はお名前です。

 

私を極楽に助けてください阿弥陀さま

 

という意味です。阿弥陀さまは「我が

 

名を呼べば必ず救う」とおっしゃって

 

います。その優しい御心から、私たち

 

の苦しみや悲しみを思って、どうすれ

 

ば救えるのかを懸命にお考えください

 

ました。そして誰もが称えられる易し

 

い言葉をご用意くださいました。お念

 

仏は阿弥陀さまからの贈り物です。有

 

難く頂戴し、お称え致しましょう。人

 

生を終えたのち苦しみのない世界に救

 

われるために、共々にお念仏をお称え

 

致しましょう。  

 

 

 

amida

 

 

 

 少しずつ言葉を理解できるようにな

 

ってきた母に、私はお念仏を伝えてい

 

ます。上手くは称えられませんが、阿

 

弥陀さまが母の願いを叶えてくださら

 

ないわけがありません。これからも母

 

に「南無阿弥陀佛」を贈りたいと思い

 

ます。これほど慈悲深いやさしい言葉

 

は他にないのですから。 

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 21:33 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
願うこころは 道をつくる

 

 

negau  

 

 

 

 明けましておめでとうございます

 

 

 

 皆さまは、「仏さまに自分の願い事

 

をしてはいけない」と言われたことは

 

ないでしょうか。亡き方の供養だけを

 

するのが仏教だとおっしゃる方がおら

 

れますが、これは私たち僧侶にとって

 

非常に悲しい言葉です。目先の欲望を

 

満たすためだけの願い事はつつしむべ

 

きですが、どうしようもない苦しみか

 

らの救いを求める時は、仏さまにおす

 

がりください。

 

 

 

知恩院 阿弥陀堂

 

 

 

 老いや病や死別など様々な苦しみが

 

私たちを襲います。時間はさかのぼれ

 

ませんし、世界的名医にも治せない病

 

はあります。出会った方とは必ず別れ

 

がやってきますし、断ち切れない悪縁

 

に苦しめられることもあります。世の

 

中は自分ではどうしようもないことば

 

かりです。苦しみから救われたいと願

 

うばかりです。そんな時こそ阿弥陀さ

 

まのお名前をお呼びするのです。阿弥

 

陀さまは、我が名を呼べば必ず救うと

 

おっしゃっています。阿弥陀さまを信

 

じ、極楽に救われたいと思えたなら、

 

それは真っ直ぐに伸びる明るい未来へ

 

の道を得たようなものです。願う心と

 

お念仏という行動がともなえば、極楽

 

に救われるという目標は必ず達成され

 

ます。千里の道も一歩からです。極楽

 

への道も今日のお念仏一声から始まる

 

のです。亡き方の供養のためにも自ら

 

が極楽に救われるためにも、共々に願

 

いを込めてお称え致しましょう。  

 

 

 

夕日

 

 

 

 何度道に迷っても、阿弥陀さまは私

 

たちをお見捨てにはなりません。私た

 

ちを救うために仏さまに成られたので

 

すから。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 07:37 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
前を見ながら 足元 忘れず

 

 

 

maewomite  

 

 

 

 今年も残りわずかとなりましたが、

 

皆様は年始に掲げた目標を達成できま

 

したでしょうか。法の藏1月号では、

 

日課念仏をお勧めしました。まずは、

 

おやすみ前に布団の中で十遍のお念仏

 

をお称えいただいて、のちにはご自身

 

の体調に合わせて日課の数を阿弥陀さ

 

まにお誓いくださいとお伝えしました

 

が、実行いただけましたでしょうか。

 

 

 

知恩院の木魚

 

 

 

 お念仏は、毎日称えないと極楽に救

 

っていただけないわけではありません。

 

阿弥陀さまや極楽の存在を信じる心を

 

育てるために毎日お称えするのです。

 

信心が身について参りますと、人生の

 

苦しみや悲しみを乗り越える力が湧い

 

て参ります。老いる苦しみ、病める苦

 

しみ、死別の悲しみ、数えればきりが

 

ないほど、私たちには苦悩が襲いかか

 

って参ります。しかし、今の苦悩は、

 

この世のものであって極楽には無いの

 

です。もう二度と涙が枯れるまで泣く

 

ことはないのです。そう信じることが

 

出来たなら、今よりも強く生きられる

 

のではないでしょうか。阿弥陀さまの

 

存在を疑い、本当に救われるのだろう

 

かと不安になるのは当然のことです。

 

正直に申しますと私自身も最初から信

 

じきれていたわけではありません。信

 

じきることは難しいのです。だからこ

 

そ信じる心を育てるために日課念仏を

 

お称えするのです。  

 

 

 

知恩院 阿弥陀堂

 

 

 

 阿弥陀さまは我が名を呼べば必ず救

 

うとおっしゃっています。極楽に救わ

 

れることを願い、日課念仏を続ける、

 

これこそが前を見ながら足元を忘れず

 

生きるということではないでしょうか。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 22:30 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
はらはらと 無常を告げる 落ち葉かな

 

 

 

harahara  

 

 

 

 母が息を引き取った病院の前を通る

 

と7年経った今でも涙が出ることがあ

 

ります。極楽にいると解っていても、

 

再会を信じていても、未だに寂しさが

 

込み上げてきます。  

 

 

 

 

 永遠に変わらないものは何一つ無い

 

ということを無常と申します。私たち

 

は無常を感じながら生きています。し

 

かし、大切な人が急に亡くなるとは、

 

あまり想像していないのではないでし

 

ょうか。テレビや新聞で有名人の訃報

 

に接するのと、身近な人が亡くなるの

 

とでは悲しみの度合が違います。この

 

世は無常であると解っていても、いざ

 

それを突きつけられると人は悲しみに

 

押しつぶされそうになるのです。お父

 

様を看取った友人が私に言いました。

 

「亡くなった人が極楽に往くと解って

 

いて、また必ず会えると信じていても

 

こんなに辛いのなら、何処に居るのか

 

解らず二度と会えないと思っている人

 

は、どれほど辛いのだろう」お念仏の

 

教えは、亡き人のために南無阿弥陀佛

 

とお称えすれば阿弥陀さまが亡き人を

 

極楽に救ってくださる、そして私たち

 

がお念仏を称えて暮らしていれば、必

 

ず極楽で亡き人と再会できるというも

 

のです。これが解っていても辛いので

 

す。お念仏の教えをご存知ない方の苦

 

しみを想って二人で涙を流しました。  

 

 

 

ochiba

 

 

 

 落ちる葉のことを、枝から見送る葉

 

も、やがて落葉になるのです。誰一人

 

として死別の苦しみから逃れることは

 

できません。しかし、極楽は永遠に存

 

在し死別の苦しみもありません。共々

 

にお念仏をお称え致しましょう。  

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 20:32 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
苦労して まるくなる人 とがる人

 

 

 

kurou  

 

 

 

 子供の頃、ドラマの主題歌として、

 

「贈る言葉」という曲がテレビから流

 

れていました。「人は悲しみが多いほ

 

ど人には優しくできるのだから」とい

 

う歌詞が、今も忘れられません。当時

 

私はこの言葉を素直に受け入れること

 

が出来ませんでした。両親の離婚を機

 

に住まいを失い、祖母の生家である法

 

藏院に居候をすることになったのです。

 

母子家庭でいつも肩身の狭い思いをし

 

ていました。他人からの心ない言葉に

 

傷つき、心をとがらせることもありま

 

した。そんな私には「悲しみが多いほ

 

ど優しくなれる」とはとても思えなか

 

ったのです。    

 

 

 

arakawa

 

 

 

 人は、自分と人を比べて優劣を競い

 

ます。貧富、学歴、家柄、容姿、能力、

 

数えればきりがありません。しかし、

 

あらゆるものが平等な世界があるとし

 

たらどうでしょう。他人の物を欲しが

 

ることもなく、自分を卑下することも

 

なく、ねたみやひがみがないとすれば

 

どれほど穏やかに暮らせるでしょう。

 

これを実現してくださるのが、極楽と

 

いう世界です。菩薩さまの姿として容

 

姿端麗に生まれ、神通力という様々な

 

力を得て、行く末は仏(ほとけ)にま

 

でしていただける世界です。阿弥陀さ

 

まを信じ、南無阿弥陀佛と称えるだけ

 

で、私たちは平等な世界にお救いいた

 

だけるのです。  

 

 

 

知恩院 阿弥陀堂

 

 

 

 今の私が優しくなれたかどうかは解

 

りませんが、人に同じ苦しみを味わっ

 

て欲しくないとは思っています。だか

 

らこそ、心ない言葉によって心をとが

 

らせている人に「南無阿弥陀佛」を贈

 

りたいと思っています。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 20:57 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ほとけの光 わけへだてなく

 

 

 

hotoke  

 

 

 

 彼岸とは極楽のことを意味します。

 

春と秋のお彼岸には、普段にも増して

 

極楽に救われたいという一心で、共々

 

にお念佛をお称えいたしましょう。

 

 

 

 

 息子さまに先立たれたお母様が私に

 

おっしゃいました。「代われるものな

 

ら代わってやりたかった。私の人生が

 

続くことよりも、あの子の人生が続く

 

ことの方がずっと幸せだったのに、こ

 

んなに早く終わってしまうなんて、こ

 

れから何を楽しみに生きていけばいい

 

のか分からない」むせび泣くお母様に

 

お伝えしました。「もう一度息子さま

 

と共に暮らす方法が1つだけあります。

 

それは南無阿弥陀佛とお称えするので

 

す。お念佛をお称えして暮らせば、阿

 

弥陀さまが必ず極楽にお救いください

 

ます。極楽に救われれば息子さまと共

 

に暮らせるのです。阿弥陀さまはお身

 

体から救いの光を絶えず発しておられ

 

ます。その光は分け隔てなくすべての

 

人に注がれています。私たちには救わ

 

れる機会が平等に与えられているので

 

す」お母様は涙をぬぐって息子さまの

 

遺影を眺めながらおっしゃいました。

 

「本当に極楽があるのなら、もう一度

 

あの子に会いたいです。これからはお

 

念佛を称えて暮らしてみます」お母様

 

は、極楽に救われるためのお念佛を毎

 

日欠かさずお称えになっておられます。  

 

 

 

 

知恩院 阿弥陀堂

 

 

 

 

 人生は不平等そのものです。なぜ自

 

分だけがこんな目に会うのかと思うこ

 

とばかりです。しかし、阿弥陀さまは

 

平等にお救いくださいます。お念佛を

 

お称えして苦悩のない極楽にお救いい

 

ただきましょう。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 19:10 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
日々精進 ご先祖さまに守られて

 

 

 

hibisyoujin  

 

 

 

 義母との同居が始まって1年が経ち

 

ました。義母には、いくつもの障害が

 

あります。当初は、右手右足が動かず

 

歩くことも出来ませんでした。話すこ

 

とも、文字を理解することも出来ず、

 

その上、脳内の状態が優れず予断を許

 

さない状況でした。そんな義母が今で

 

は毎日リハビリに励んでいます。ベッ

 

ドから車椅子へ移ることから始めたリ

 

ハビリは、ついに杖歩行のリハビリに

 

までこぎつけました。通常、脳梗塞を

 

発症した方は6ヶ月ほどで回復が停滞

 

すると言われていますが、医学的見解

 

など私たち家族には関係ありません。

 

たとえ何年かかっても義母には自分の

 

足で歩けるようになって欲しいと思っ

 

ています。  

 

 

 

 

 仏教において精進とは、ひたすら修

 

行に努め励むことを申します。つまり

 

人が見ていようがいまいが修行を続け

 

るということです。たとえるならば、

 

線香が真っ直ぐに燃え続けるようなも

 

のです。線香は、人目を気にせず同じ

 

ペースで燃え続けます。仏道修行に限

 

らず私たちも一度決めたことは最後ま

 

で成し遂げたいものです。  

 

 

 

 

senkou

 

 

 

 

 義母は、続けることの大切さを教え

 

てくれています。今は亡き実母は極楽

 

から見守ってくれています。二人の母

 

に励まされ私はお念佛を称えて暮らし

 

ています。皆様のご先祖さまも、皆様

 

のことを必ず見守ってくださっていま

 

す。ご先祖さまと再会し、御礼を申し

 

上げるには、お念佛を称えて暮らす他

 

ありません。最期の日まで共々にお念

 

佛を称えて暮らしましょう。それが浄

 

土宗の精進です。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

   

| 法藏院住職 | 22:11 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
悩みの種から 花が咲く

 

 

 

nayami  

 

 

 

 悩みは尽きることがありません。解

 

決したとしても、また次の悩みができ

 

ます。実は、悩みの原因は自分自身に

 

あるのです。尽きることのない欲望、

 

思い通りに行かない人生への怒り、つ

 

い繰り返してしまう過ち、これらが悩

 

みの種なのです。  

 

 

 

知恩院 阿弥陀堂

 

 

 

 欲望や怒りや過ちを繰り返す私たち

 

を苦悩から救ってくださるのが阿弥陀

 

さまです。植物の種は、土に植えても

 

必ず咲くという保証はありません。し

 

かし、お念佛は、称えた者すべてが、

 

極楽に生まれることができるのです。

 

「南無阿弥陀佛」とお念佛をお称えし

 

て暮らしていると、命が終わる時に阿

 

弥陀さまがお迎えに来てくださいます。

 

そして、私たちを蓮のつぼみの中に移

 

して極楽にお救いくださいます。その

 

つぼみを極楽の池に浮かべられます。

 

やがて時が満ちると、大輪の花が咲き

 

私たちは親指姫のように花の中から生

 

まれるのです。花の周りには先立たれ

 

た方々が集まっておられます。私たち

 

は悩みや苦しみのない極楽で亡き方々

 

と再会を果たすのです。  

 

 

 

2016.11

 

 

 

 心も体も穏やかで満ち足りた世界で

 

ある極楽に、悩み多き罪深い私たちが、

 

お念佛を称えるだけで救っていただけ

 

るのは、阿弥陀さまが私たちの代わり

 

に修行を積んでくださったからです。

 

阿弥陀さまは、我が名を呼ぶ者を救え

 

る仏に成ると誓われて修行を積まれま

 

した。そして幾度もの生涯をかけて誓

 

いを達成されたのです。共々に南無阿

 

弥陀佛と称えて暮らしましょう。信じ

 

て称えて暮らしたならば、必ず花は咲

 

くのです。   

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

2016.2

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 20:59 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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