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光明徧照

 

 

 

光明  

 

 

 

 仲秋の名月を見上げて、同じ月を見

 

ている人のことを想いました。悲しみ

 

の中で泣きながら見ている人、苦しみ

 

の中で汗をぬぐいながら見ている人、

 

暗闇の中で月の光に癒されている人、

 

さまざまな情景が頭の中をかけめぐり

 

ました。そして、手を合わせ、月を拝

 

みました。  

 

 

 

 

 光明(こうみょう)とは、阿弥陀さ

 

まの体から放たれている救いの光のこ

 

とで、徧照(へんじょう)とは、隅々

 

まで照らすという意味です。つまり、

 

阿弥陀さまは、すべての人に救いの手

 

を差しのべておられます。阿弥陀さま

 

は、南無阿弥陀佛と念仏を称えるとお

 

救いくださいます。仏の教えを理解で

 

きるかどうかではなく、救いを求める

 

かどうかが重要なのです。たとえば、

 

薬を飲むのに薬学の知識は必要ありま

 

せん。医師の言葉を信じ、服用するの

 

みです。念仏は阿弥陀さまの言葉を信

 

じ、称えるのみです。薬の効果は人そ

 

れぞれですが、念仏の成果は分け隔て

 

なく、すべての人に平等に与えられま

 

す。私たちは、あらゆる苦しみから救

 

われるのです。これは紛れもない事実

 

です。  

 

 

 

月影

 

 

 

 夜空に浮かぶ月は、分け隔てなく地

 

上を照らしていますが、その輝きに癒

 

されるのは、空を見上げた人だけです。

 

阿弥陀さまの光明は、平等に注がれて

 

いますが、その救いにあずかるのは、

 

念仏を称えた人だけです。私たちは、

 

救われる法を手にしました。空を見上

 

げるのと同じぐらいたやすいことです。

 

涙も汗もぬぐう必要はありません。あ

 

りのままでお称えしましょう。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

| 法藏院住職 | 11:37 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
まごころの おすそわけ

 

 

magokoro  

 

 

 

 私が幼い頃は、今よりもおすそわけ

 

が盛んでした。果物や煮物など、様々

 

なやりとりがあったものです。おすそ

 

わけは、お福分けとも言うそうです。

 

喜びを分かち合う素敵な風習だと思い

 

ます。食べものに限らず、人生の教訓

 

を分かち合うことも大切ではないでし

 

ょうか。

 

 

 

 

はす4

 

 

 

 

 阿弥陀さまは「私を信じ、南無阿弥

 

陀佛と称えれば、必ず極楽に救う」と

 

おっしゃっています。苦悩のない極楽

 

に生まれた人は、たえず家族を見守り

 

極楽に導くことができます。つまり、

 

ふたたび共に暮らすことができるので

 

す。しかし、念仏を称えず死を迎え、

 

死後だれからも念仏を称えてもらえな

 

かった人は、極楽以外の世界に生まれ

 

変わります。たとえ人間に生まれ変わ

 

ることができたとしても、家族や友人

 

のことは忘れてしまい、当然、見守る

 

ことも、導くこともできません。そん

 

な私たちを救うために阿弥陀さまは、

 

南無阿弥陀佛「念仏」を用意してくだ

 

さったのです。私たちは多くの生まれ

 

変わりを繰り返しようやく念仏に出会

 

えたのです。この人生こそは念仏を称

 

えて暮らしましょう。大切な人のこと

 

を忘れてしまうような生き方はせずに、

 

阿弥陀さまの言葉を信じて、共に極楽

 

を目指しましょう。  

 

 

 

 

はす1

 

 

 

 

 念仏とは、阿弥陀さまの「まごころ」

 

がこもった贈り物です。念仏を周りの

 

人にお勧めすることこそ、最高の「お

 

すそわけ」です。究極の安楽の世界に

 

生まれることができる方法を知ったの

 

ですから、この喜びをより多くの方と

 

分かち合いましょう。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 14:32 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ここにいるよ あなたを想っている

 

 

ここにいるよ  

 

 

 

 お盆には多くの家にうかがいます。

 

今までで、一番多かった質問は、ご先

 

祖さまがどこに帰って来られるかとい

 

うものです。わたしが仏壇での読経を

 

終えて振り返ると、「これからお墓に

 

行こうと思うのですが、お墓にはご先


祖さまはいないのですか」と聞かれま

 

す。皆様は、どう思われるでしょうか。 

 

 

 

 

6

 

 

 

 

 うだるような猛暑の日、見晴らしの

 

よい山の上の霊園で、ていねいにお墓

 

の掃除をしている男性に出会いました。

 

見知らぬその方は、湯上りの子どもの

 

体を拭くように、優しくお墓の水気を

 

ぬぐっておられました。そして初対面

 

の私に、こんな話をされました。「こ

 

こに母親がいないことは分かっている

 

んですけどね」。目を丸くする私をよ

 

そに、続けて「極楽ってとこにいるら

 

しいですね。うちのお寺さんが、そう

 

言っておられました。でもね、やっぱ

 

りここにいてくれる気がするんですよ。

 

だから会いに来るんです」とおっしゃ

 

いました。私が「お母さん喜んでおら

 

れるでしょうね」と言うと、「そうで

 

すかね」と照れくさそうに汗をぬぐっ

 

ておられました。  

 

 

 

 

知恩院 阿弥陀堂

 

 

 

 

 普段、亡き方は極楽におられます。

 

しかし、私たちが望めば、いつでも、

 

どこにでも駆けつけてくださいます。

 

そして「ここにいるよ」とおっしゃ

 

っています。時も場所も選ばないの

 

は、いつも私たちのことを想ってお

 

られるからです。仏壇にもお墓にも

 

本堂にも、いつでもどこにでもお見

 

えになります。そして、私たちの心

 

の声を聴き、優しく導いてくださる

 

のです。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

 

 

追記

 

この夏、境内で咲いた蓮の花です。

 

 

 

はす13

はす11

はす7

はす3

はす2

| 法藏院住職 | 21:49 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
善き行いに 善き心

 

 

 

yokiokonai  

 

 

 

 母から受けた最初の教育は、「自分

 

がされて嫌なことを人にしてはいけな

 

い、自分がしてもらって嬉しかったこ

 

とを人にしなさい」というものでした。

 

今も母の声が、耳の奥に残っています。  

 

 

 

 

 母の遺品を整理していた時のことで

 

す。入院中に母が使っていた赤いコッ

 

プを見つけた時、手が止まりました。

 

コップを眺めていると、最期、水も飲

 

めなかった母の姿が目に浮かび涙が溢

 

れてきました。何も出来なかった自分

 

と、母の苦しみを思い出すと、悔しさ

 

と悲しさで、胸が締めつけられそうで

 

した。遺品を前に涙ぐむ私を見た妻は、

 

隣に座り、そっと手を握り、背中をさ

 

すり、一緒に泣いてくれたのです。あ

 

の時ほど、人の優しさが身に沁みたこ

 

とはありません。人は、思いやりのあ

 

る善き行いに癒されて、善き心を持つ

 

のだと思います。そしてそれは、次の

 

善き行いの原動力となるのでしょう。

 

優しさの連鎖が起これば、ほんの少し

 

ずつでも世の中は穏やかになってゆく

 

のではないでしょうか。誰しも支えが

 

必要な時があるものです。そんな時そ

 

ばにいられる人でありたいと私は思い

 

ます。  

 

 

 

 

知恩院 阿弥陀堂

 

 

 

 

 南無阿弥陀佛と称えれば、阿弥陀さ

 

まが極楽に救ってくださることは間違

 

いのないことです。しかし、私たちは

 

死別の苦しみから逃れることができま

 

せん。この世の苦悩に特効薬はないの

 

です。苦しみや悲しみを和らげるのは、

 

人の優しさしかないと思います。でき

 

ることなら、心の中に降る雨に、傘を

 

さしだせるような人になりたいもので

 

す。 

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

  

| 法藏院住職 | 22:27 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ひとつ ひとつ いのち輝く

 

 

 

hitotsu  

 

 

 

 私たちは、尊い命、かけがえのない

 

命という言葉をよく口にしますが、果

 

たしてすべての命についてそう思えて

 

いるでしょうか。自分にとって大切な

 

命は尊く、そうでない命には関心が薄

 

いのではないでしょうか。身近な人の

 

死とそうでない人の死は、比べようが

 

ないほど衝撃が違います。善人の死と

 

悪人の死も決して同じではないはずで

 

す。しかし、阿弥陀さまから見ればひ

 

とつひとつが輝く命なのです。

 

 

 

 

suiteki

 

 

 

 

 誰にも気にかけてもらえないと嘆く

 

方がおられます。夢も希望もないとお

 

っしゃる方がおられます。この世には、

 

人の力ではどうしようもないことが山

 

のようにあります。しかし、阿弥陀さ

 

まは、分け隔てなくすべての命を気に

 

かけ、絶望の淵に立っている人にも救

 

いの手を差し伸べておられます。絶え

 

ずその眼で救いを求める人を探し、絶

 

えずその耳で助けを呼ぶ声を聴き、絶

 

えずその身体から救いの光を放ち続け

 

ておられます。今までも今もこれから

 

も、極楽から見守ってくださっている

 

のです。そして「私の名前を呼びなさ

 

い、南無阿弥陀佛と称えなさい」とお

 

っしゃっています。極楽にお救いくだ

 

さいと願いを込めて、南無阿弥陀佛と

 

お称えすれば、必ずお救いくださいま

 

す。  

 

 

 

 

 私たちは身勝手で不安定で無力です。

 

すべての命を慈しむことはできません。

 

しかし、阿弥陀さまから見ればひとつ

 

ひとつが輝く命なのです。救いを求め、

 

お名前をお呼びすれば、お救いくださ

 

います。ありのままで共にお称え致し

 

ましょう。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

| 法藏院住職 | 17:54 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
少欲知足

 

 

 

syouyoku  

 

 

 

 少欲知足(しょうよくちそく)とは、

 

わずかなもので満足するという意味で

 

す。口にするのは容易いですが、実践

 

するのは大変なことです。例えば、右

 

手に得たものが有りながら、左手にも

 

得たいと望むのが私たちです。欲望に

 

終わりはありません。  

 

 

 

 

 私は炊きたてのご飯が大好きです。

 

幼い頃、身体が弱かった私は、体調を

 

崩すたびお粥ばかり食べていました。

 

そんな私に祖母は「病気になったら健

 

康のありがたみが良く分かる。元気に

 

なったら感謝してご飯を頂きなさい」

 

と教えてくれました。「喉もと過ぎれ

 

ば熱さを忘れる」と言いますが、祖母

 

の教えを守れず、日々あらゆる食べ物

 

に目移りしています。快復してご飯が

 

食べられる幸せを噛みしめていた頃を

 

忘れ、恥ずかしながら強欲に生きてお

 

ります。本当に情けないことです。私

 

自身、常に少欲で生きることはとても

 

出来ませんが、時には日々の生活に感

 

謝する心を持ってこそ、つつましい生

 

活を心がけることができるのだと思っ

 

ています。着るもの、食べ物、住む所、

 

決して当たり前のものではありません。

 

今の生活を有り難いと思う心から、与

 

えられたものに満足する、少欲知足の

 

生き方が始まるのだと思います。  

 

 

 

 

 強欲は妬みを生み、妬みは憎しみを

 

生みます。憎しみは争いを生み、争い

 

は破滅を招きます。少欲知足とは、得

 

ていないものに欲を起こさず、得たも

 

のが少なくても悔やまないことを言い

 

ます。日々与えられたものに感謝する

 

生き方を心がけたいものです。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 22:11 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
新たな出会い よき縁に

 

 

 

aratana  

 

 

 

 皆様は、初めて出会った人と不思議

 

に気が合うことがありませんか。その

 

方とは、この人生では初対面でも、遠

 

い昔、時を共に過ごしていたのかもし

 

れません。実は私たちは、数え切れな

 

いほどの生まれ変わりを繰り返してい

 

ます。多くの生涯の中でつちかわれた

 

良縁は、今生でも結ばれているのです。

 

 

 

大阪城 桜

 

 

 

 小学校に入学してすぐに転校した私

 

は、新しい学校に馴染めず、一人で登

 

下校をしていました。そんなある日、

 

「一緒に帰ろう」と同級生が声をかけ

 

てくれたのです。さらに帰り道で「家

 

に遊びに来ないか」と彼が言ってくれ

 

ました。出迎えてくださったお母さん

 

に何気なく自己紹介をすると、お母さ

 

んは私の顔をじっと見て「あなたのお

 

母さんのお名前は」と聞きました。戸

 

惑いながら母の名前を言うと、慌てて

 

受話器を取られました。なんと、彼の

 

お母さんと私の母は幼馴染だったので

 

す。二人の母は、子ども同士の出会い

 

に運命的なものを感じていました。す

 

でにお互いの両親は他界しましたが、

 

四十年の歳月を経た今も、彼とは時を

 

共に過ごしています。親子二代に渡る

 

不思議なご縁は、私にとってかけがえ

 

のない良縁です。  

 

 

 

 

 私たちは、様々な世界を様々な生き

 

物として生まれ変わり、そして今、人

 

として暮らしています。今生での出会

 

いは、遠い昔からのご縁によるものか

 

もしれません。よき縁になるかどうか

 

は、私たちしだいです。共々に良縁に

 

感謝し、大切に育んで参りましょう。

 

よき縁こそが人生の杖となるのです。

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 20:32 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
寒さ越え 山笑うころ 春彼岸

 

 

 

samusa  

 

 

 

 お彼岸には、お墓参りや先祖供養を

 

なさるかと思います。ご恩に報いるた

 

め、亡き方の幸せを祈るため、家族の

 

無事を願うためなど、理由は人それぞ

 

れだと思います。私は、供養とは見守

 

ってくださっていることに気づかせて

 

いただくためのものだと思っています。  

 

 

 

yama

 

 

 

 山の笑顔に気づく人は、普段から山

 

の存在を意識して暮らしている人だと

 

思います。山はいつもそこにあるのに、

 

私たちはあまり意識せずに暮らしてい

 

るように思います。ご先祖さまも亡き

 

方も、山のようにいつも私たちを見守

 

ってくださっています。私たちが辛い

 

時には共に悲しみ、嬉しい時には共に

 

喜び、いつもそばで見守ってくださっ

 

ています。それに気づいて暮らすこと

 

が出来れば、これほど心強いことはな

 

いのですが、私たちはあまり意識せず

 

に暮らしています。そして時には、眠

 

れないほどの孤独を感じ、凍えるよう

 

な日々を過ごしています。 そんな時、

 

ご先祖さまや亡き方の見守りに気づけ

 

たならば、どれほど生きる支えとなる

 

でしょう。雪解けの春の陽射しのよう

 

に、微笑みかけてくださっていること

 

に気づけたならば、私たちは強く生き

 

ていけるのではないでしょうか。共々

 

に、見守りを感じる春彼岸でありたい

 

と思います。  

 

 

 

 

 慈しみの心で見守ってくださってい

 

るのは、私たちが願ったからではあり

 

ません。願う以前から、そして今も、

 

これからも見守ってくださっているの

 

です。そのことに気づくことが、生き

 

る支えになるのではないでしょうか。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

| 法藏院住職 | 08:59 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
水に源あり 樹に根あり

 

 

 

mizu  

 

 

 

 尋源培根(じんげんばいこん)とい

 

う言葉があります。訓読すると、源を

 

尋ね根を培(つちか)うとなります。

 

原点を再確認し本分を尽くすという意

 

味です。私たちにとって、源は法然上

 

人の御教えであり、根はお念仏のこと

 

を申します。  

 

 

 

御影

 

 

 

 法然上人の御教えは、仏教の理解や

 

実践がとぼしい人も救われる教えです。

 

南無阿弥陀佛と阿弥陀さまのお名前を

 

お呼びし、極楽という苦しみのない世

 

界に救っていただく教えです。開宗以

 

前の法然上人は、仏教を完全に理解し、

 

正しく修行を積むことは出来ないと苦

 

しんでおられました。しかし、お念仏

 

の御教えに出会われて、阿弥陀さまが

 

極楽に救ってくださると確信なさった

 

時、感動し涙を流されたのです。そし

 

て、自らが救われることだけに留まら

 

ず、多くの人に伝えようとなさったの

 

です。これが御教えの泉から水が流れ

 

た瞬間です。そして、その水は八百年

 

余りの時を経て、いま私たちのもとに

 

清らかに届けられているのです。この

 

御教えを信じ、何ものにも負けない樹

 

を育てなければなりません。病気とい

 

う吹き荒れる風にも、老化という体力

 

を奪う雨にも、死別という突然襲う悲

 

しみの雷にも負けない、信心の樹を育

 

てなければなりません。

 

 

 

ki

 

 

 

 お念仏を称えるうちに信心の樹は必

 

ず育って参ります。人生の苦難を乗り

 

越えるためには支えが必要です。阿弥

 

陀さまのお力を信じる心こそ生きる支

 

えとなります。共々にお念仏という本

 

分の根を培い信心という樹を育てて参

 

りましょう。

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

| 法藏院住職 | 22:33 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
お念佛からはじまる幸せ

 

 

 

onenbutsu  

 

 

 

 病院で年越しをした方もおられれば、

 

ご家族を亡くして初めてのお正月を迎

 

えられた方もおられると思います。皆

 

様に、少しでも穏やかな日常が訪れま

 

すようにと願うばかりです。  

 

 

 

 

 私は、どうしてもこの世が苦しみ多

 

き世界であると思えて仕方ないのです。

 

仏さまの教えによれば、私たちは今以

 

上の苦しみを、数限りなく味わってき

 

たそうです。多くの生まれ変わりの中

 

で、様々な生き物として、様々な場所

 

で傷つき、悲しみ、苦しんできたので

 

す。しかし、それを思い出せない私た

 

ちは、何度も同じ過ちを繰り返し、苦

 

しみの世界から抜け出せずにいます。

 

もちろん、私自身も思い出せませんし、

 

信じ難いことです。しかしこれを受け

 

入れなければ、仏教を信じることはで

 

きないのだと思います。子どもの頃、

 

母に「勉強は出来るうちにしておかな

 

いと大人になってから後悔する」と言

 

われましたが、まさに今、後悔してお

 

ります。阿弥陀さまは「極楽に生まれ

 

たいと願って南無阿弥陀佛と称えなさ

 

い」とおっしゃっています。自ら称え

 

ずに、そして死後、誰からもお念佛を

 

称えてもらえなかったならば、次の世

 

では、お念佛にさえ出会えないかもし

 

れません。前世を思い出すことが出来

 

ない私たちは、後悔することすらでき

 

ないのです。  

 

 

 

 

amida

 

 

 

 

 私たちは多くの生まれ変わりの中で、

 

ようやく苦しみのない世界に救われる

 

機会を得たのです。今生こそは、お念

 

佛をお称えし、極楽へ参りましょう。

 

真の幸せは、お念佛からはじまるので

 

す。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 00:17 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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