Page: 1/11   >>
南無阿弥陀佛 いまを生きる

 

 

 

imawoikiru  

 

 

 

 ある方が、私におっしゃいました。

 

「先ほど法話の中で、お念仏をお称え

 

すれば、息子も私も阿弥陀さまに極楽

 

へ救っていただける、必ず再会できる

 

とおっしゃいましたが、私は今、寂し

 

くて苦しくてどうしようもないのです。

 

夫に先立たれ、両親を見送り、そして

 

一人息子を亡くしたのです。これから

 

私は何を頼りに生きていけばいいので

 

すか」  

 

 

 

 

 大切な人を亡くすと、言いようのな

 

い喪失感が私たちを襲います。気力を

 

失い、何気ない言葉に傷つき、食事も

 

喉を通らなくなります。しかし、ふさ

 

ぎ込んでばかりはいられません。食べ

 

ていかなくてはなりません。働かなけ

 

ればなりません。この世は本当に残酷

 

だと感じます。「いまを生きる」こと

 

は苦しいことです。私はこのようにお

 

伝えしました。「阿弥陀さまは必ず私

 

たちを助けてくださいます。どんな悩

 

み事にも寄り添い、耳を傾けてくださ

 

います。ありのままで向き合ってみて

 

ください。どうかお念仏をお称えくだ

 

さい。助けてください阿弥陀さまとお

 

名前をお呼びください。阿弥陀さまが

 

必ずお導きくださいます」  

 

 

 

知恩院 阿弥陀堂

 

 

 

 この方は今日も一人で食事をされて

 

います。早朝から仕事に出られます。

 

もちろん、お念仏によって寂しさや苦

 

しみが消え去ったわけではありません。

 

しかし、懸命に、いまを生きておられ

 

ます。ご家族との再会を信じて、お念

 

仏を頼りに生きておられます。私たち

 

は、極楽にお救いいただくその日まで

 

「南無阿弥陀佛と称えて、いまを生き

 

る」ほかないのです。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 10:51 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ぬくもりに やすらぐ

 

 

 

nukumori  

 

 

 

 寒い冬の朝、本堂での読経を終える

 

と、いつも台所にほうじ茶が入れてあ

 

りました。母は、絶妙のタイミングで

 

お茶をいれてくれました。あつ過ぎず、

 

ぬる過ぎず、一息で飲める、ちょうど

 

いい温度でした。その温もりに癒され

 

一日のはじまりを穏やかに迎えていた

 

ことを、今も思い出します。  

 

 

 

ほうじ茶

 

 

 

 亡くなった母に、習っておけばよか

 

ったと思うことはたくさんありますが、

 

一番後悔しているのはお茶のいれ方で

 

す。あまり身内を褒めるのは良くない

 

と思いますが、ほうじ茶に限らず、煎

 

茶もお抹茶も美味しくいれてくれまし

 

た。ごく普通の茶葉ですが、心を込め

 

て注いでくれたお茶には、優しさとい

 

う高級感がありました。今思えばあれ

 

が、「人を思う」ということだったの

 

でしょう。相手のことを思って、人と

 

接するということの大切さを教えてく

 

れていたのだと思います。息が白くな

 

るほどの朝、私は台所のほうじ茶に支

 

えられていました。失ってから親の有

 

り難みを知るようではいけないのだと

 

思いますが、今になって「あたりまえ

 

だと思っていた日常」に、深く感謝し

 

ています。そして「人を思う」難しさ

 

を実感しています。  

 

 

 

 母のように美味しいお茶を入れるこ

 

とは出来ませんが、私にも、誰かのた

 

めに出来ることがあるはずだと思って

 

います。いつの日か、誰かの「やすら

 

ぎ」になれるよう精一杯努力したいと

 

思います。そして、出会った方には、

 

「周りの方を穏やかにするような生き

 

方」をお勧めして参りたいと思います。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

| 法藏院住職 | 08:10 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
曇り夜も月は輝いている

 

 

 

kumoriyoru  

 

 

 

 雲が空を覆っていると、夜の地上は

 

闇に包まれています。しかし、はるか

 

上空に月が存在していないわけではあ

 

りません。当たり前のことですが、時

 

折それを忘れてしまうほど私たちは気

 

が滅入ることがあります。まるで世界

 

に一人とり残されたような感覚になり、

 

心細い夜を過ごします。そんな時、私

 

たちは何を頼りに生きていけばいいの

 

でしょうか。誰に救いを求めればいい

 

のでしょうか。  

 

 

 

 

 いつもご遺族に申し上げます。「亡

 

き方は無くなられたのではありません。

 

お住まいを移されたのです。現住所が

 

変わられたのです。これからは極楽浄

 

土にお住まいになられます。私たちか

 

ら会いに行くことは出来ませんがあち

 

らから会いに来られることはできます。

 

確かにそばにおられます。いつも私た

 

ちを見守ってくださっています。こち

 

らにおられた頃と同じように、いつで

 

も何でも話しかけてください。愚痴も、

 

涙もこぼしてください。これまでも、

 

今も、これからも、ずっとつながって

 

いるのです。それがご縁というもので

 

す。無くなられたのではないのです。

 

確かに存在しておられるのです」  

 

 

 

 

月影

 

 

 

 

 もちろん阿弥陀さまも、亡き方と同

 

じように私たちを見守ってくださって

 

います。極楽浄土という遥か西の彼方

 

にお住まいですが、いつもそばにいて

 

くださいます。曇り夜も月が輝いてい

 

るように、阿弥陀さまも亡き方も、い

 

つもそばで見守ってくださっているの

 

です。どうか忘れないでください。私

 

たちは今もつながっているのです。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 22:12 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
あの人の恩 ありし日を思う

 

 

 

anohito  

 

 

 

 私たちは多くの人に支えられていま

 

す。感謝の気持ちを伝えるためには、

 

何をすべきでしょうか。人それぞれ手

 

段は違うと思いますが、私は、私自身

 

が極楽に救われることこそが、一番の

 

恩返しだと思っています。そして、そ

 

のために日々お念仏を称えて暮らして

 

います。  

 

 

 

 

日想観

 

 

 

 

 9月は祖母が亡くなった月です。命

 

日が近づくと最期の言葉を思い出しま

 

す。当時の私は、寺の運営に関して悩

 

んでいました。祖母は亡くなる1週間

 

前に私を病室に呼び、ベッドに座らせ、

 

眉間にしわを寄せながら、怖い顔をし

 

て私に言いました。「あんたはええか

 

っこしいや、人前でいいところを見せ

 

ようとして見栄を張る。すぐに背伸び

 

をする。出来もせん大きなことを言っ

 

て、叶いもせん夢を語って、ほんまに

 

気をつけんといかん。あんたはあんた

 

のペースでいいから、焦らず地道に努

 

力せんといかん。忘れたらあかんで、

 

よう覚えときや」最期の力を振り絞っ

 

て伝えてくれた言葉には、祖母の優し

 

さが詰まっていました。生涯忘れられ

 

ない言葉です。自己研鑽を疎かにし、

 

寺の発展ばかりに目を向けていた私は、

 

自分を見直し布教を学ぶようになりま

 

した。これ以後「地道に努力」を心が

 

けています。  

 

 

 

 

 阿弥陀さまは「南無阿弥陀佛」と我

 

が名を呼べば必ず救うとおっしゃって

 

います。祖母の言葉を借りるなら、自

 

分のペースで、真面目に積み重ねるの

 

がお念仏だと思います。皆様にも、す

 

べての御恩に報いるためにお念仏をお

 

称えいただけたらと思います。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

 

 

 

追記

 

この夏、境内で咲いた蓮のお花です。

 

昨年は一輪も咲きませんでしたので、

 

喜びもひとしおです。皆様にとって

 

一服の清涼剤になれば幸いです。

 

 

 

24681312910137511

 

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 21:48 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
極楽浄土に思いを馳せる

 

 

 

gokuraku  

 

 

 

 世界的名医にも、治せない病気はあ

 

ります。人生は、思い通りにならない

 

ことばかりです。しかし、私たちが極

 

楽浄土に生まれることを望んで、「南

 

無阿弥陀佛」と称えたならば、阿弥陀

 

さまは必ずお救いくださるのです。  

 

 

 

 

 うちのお檀家さまで、今年1月に大

 

病を患われて苦しい思いをなさった方

 

がおられます。一時は死を覚悟したと

 

おっしゃっていました。その時、思わ

 

ず口から出たのは「南無阿弥陀佛」だ

 

ったそうです。普段は、辛いことがあ

 

ると「お父ちゃん、お母ちゃん」とお

 

っしゃっていたそうですが、苦しみの

 

中で死を覚悟した時に出た言葉は、お

 

念仏だったそうです。命が尽きると思

 

った時、私の声が聞こえたとおっしゃ

 

っていました。以前、法話の中でお伝

 

えした「辛い時こそ、南無阿弥陀佛、

 

苦しい時こそ、南無阿弥陀佛」という

 

言葉を思い出してくださったそうです。

 

半年が過ぎ、今は容態も落ち着いてお

 

られますが、依然、予断を許さない状

 

況です。そんな中、毎日ベッドでお念

 

仏をお称えになっておられます。「こ

 

の苦しみは、この世だけのもの、極楽

 

浄土に往ったらしんどいことは何もな

 

い、そう思って称えています」とおっ

 

しゃっていました。まさに、「極楽浄

 

土に思いを馳せて」お念仏をお称えに

 

なっておられます。  

 

 

 

hasu

 

 

 

 ベッドの上からかけてくださったお

 

電話で、私は涙を流しながら御礼を言

 

いました。そして、共々にお念仏をお

 

称えしました。あらためてお念仏の素

 

晴らしさを実感した出来事でした。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 14:57 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
倶会一処

 

 

 

kueissyo  

 

 

 

 境内の蓮の蕾を眺めていると母の笑

 

顔を思い出します。極楽は暑くも寒く

 

もないと申します。さぞ穏やかな気候

 

の中、ひかり輝く大輪の蓮を眺めてい

 

ることでしょう。寂しく思う日もあり

 

ますが、母の息災を感じると再会が楽

 

しみで少し笑顔になれます。  

 

 

 

蓮7

 

 

 

 俱会一処(くえいっしょ)とは、阿

 

弥陀経という経典に記されているお言

 

葉です。ともにひとところで会えると

 

いう意味です。死別により離れた者同

 

士が、極楽で再会を果たすことを意味

 

します。再会の条件は1つです。南無

 

阿弥陀佛と称えて暮らすことです。た

 

とえどんなに辛い別れ方をしたとして

 

も「助けてください阿弥陀さま」と願

 

いを込めて「南無阿弥陀佛」とお称え

 

すれば、亡き人も私たちも、阿弥陀さ

 

まが必ず極楽にお救いくださいます。

 

極楽には、苦しみも悩みも悲しみもあ

 

りません。究極の安楽の世界です。老

 

化も病気も戦争も災害もない世界です。

 

大地も水も空も、すべてが穏やかで、

 

いつも心地よい風が吹いています。花

 

は自ら光りを放ち輝いています。鳥は

 

優雅にさえずり、その声は仏の教えを

 

説いているのです。ただ様々な幸福ば

 

かりを感じるから極楽と呼ばれている

 

のです。そんな場所で私たちは再会を

 

果たすのです。これほど有難いことは

 

他にありません。  

 

 

 

知恩院 阿弥陀堂

 

 

 

 この世で出会った人とは必ず死別の

 

時がやってきます。しかし、南無阿弥

 

陀佛と称えて暮らせば、必ず再会でき

 

るのです。その日を楽しみに、共々に

 

お念仏をお称えして暮らして参りまし

 

ょう。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

| 法藏院住職 | 17:12 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
人柄は その一言に あらわれる

 

 

 

hitogara  

 

 

 

 誰しも、心に刻む一言があるのでは

 

ないでしょうか。私が布教師を志した

 

頃、ある先生がこのようにおっしゃい

 

ました。「一助 (いちじょ) に成れる」

 

このお言葉が、今も私の中で強く生き

 

ています。

 

 

 

suiteki

 

 

 

 一助に成れるとは、例えば、私がお

 

念仏「南無阿弥陀佛」をお檀家さまに

 

お伝えしたと致します。そして、その

 

方が生涯にわたってお念仏をお称えく

 

ださったと致します。するとその方は、

 

必ず阿弥陀さまに救われて極楽浄土に

 

お生まれになられます。極楽浄土にお

 

生まれになられた方は、阿弥陀さまの

 

お導きによって、確実に仏さまに成ら

 

れます。そして、浄土という仏の世界

 

の主(あるじ)に成られます。つまり、

 

お念仏をお伝えするという行為は、一

 

仏一浄土(いちぶついちじょうど)の

 

一助に成れるということです。仏さま

 

は、私たちを苦悩からお救いくださる

 

救済者です。浄土とは、悩み苦しみの

 

ない浄らかなる世界、救済の地です。

 

先生は、救済者と救済の地が増えてい

 

くお手伝いが出来るということを「一

 

助に成れる」と表現なさったのです。

 

かなり次元の違う話ですが例えるなら、

 

お医者さまと病院を増やすお手伝いを

 

するようなものです。  

 

 

 

 

amida

 

 

 

 

 当時私は「この先生は一助に成れる

 

と心から信じておっしゃっている」と

 

感じました。その一言に先生の信仰心

 

とお人柄があらわれておられました。

 

私は今、阿弥陀さまのお力を心から信

 

じて、一仏一浄土の一助と成れるよう、

 

全力で「南無阿弥陀佛」をお伝えして

 

おります。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 21:19 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
心の弦 張り過ぎず ゆる過ぎず

 

 

 

kokoronogen  

 

 

 

 弓や楽器の弦は、まず張り方を覚え

 

て、自分で道具を調え育てていくこと

 

が大切なのだそうです。私たちの心も

 

自身で調え、そして育てていくべきな

 

のだと思います。  

 

 

 

 法然上人のお言葉       

 

  時には特別な時間を設けて念仏を

 

  申して、心も体も奮い起こし、調

 

  え、自身を念仏へと誘うべきです。  

 

 

 

 私は幼い頃から物事が続かず、母に

 

「堪え性がない」と言われていました。

 

未だに性格は変わらず、達成できない

 

目標がいくつもあります。また、一時

 

的に張り切り過ぎて体調を崩すことも

 

多々あります。恥ずかしいことですが、

 

お念仏に関しても同じことが言えます。

 

忙しさにかまけて、お念仏が二の次に

 

なってしまうことがあります。そんな

 

時私は、法然上人のお言葉を思い出し

 

ます。 朝夕のおつとめのお念仏ではな

 

く、特別に時間を設けて自身をお念仏

 

に誘うための別時念仏(べつじねんぶ

 

つ)という修行を積みます。時間の許

 

す限り好きなだけ南無阿弥陀佛とお称

 

えします。阿弥陀さまは我が名を呼べ

 

ば必ず極楽に救うとおっしゃっていま

 

す。私にとって別時念仏とは、今の苦

 

しみや悲しみは今だけのものであって、

 

極楽に救われれば味わうことはないの

 

だと再確認できる時間です。そして、

 

あらためてお念仏の継続を誓い、生活

 

の最優先に戻すための時間です。  

 

 

 

知恩院の木魚2

 

 

 

 心の弦は自分で張り方を覚えて、時

 

には張り直すことが大切なのではない

 

でしょうか。お念仏のみならず日々の

 

生活を見直し、時には共々に心の弦の

 

張り直しを致しましょう。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 20:57 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
天上天下唯我独尊

 

 

 

tenjou  

 

 

 

 天上天下唯我独尊(てんじょうてん

 

げゆいがどくそん)とは、お釈迦さま

 

がお生まれになられた時、七歩歩まれ、

 

右手で天を、左手で地を指しておっし

 

ゃったお言葉です。全世界で私より尊

 

い者はないという意味です。諸説あり

 

ますがこのお言葉には続きがあります。

 

今ここに生まれてきたが、これが迷い

 

の世界での最後の生であり、再び迷い

 

の世界に生まれ変わることはないとお

 

っしゃっています。つまり必ず仏に成

 

るというお言葉です。唯我独尊は、決

 

して傲慢な言葉ではなく成仏するとい

 

う宣言なのです。  

 

 

 

tanjou
 

 

 

 

 受け入れ難いことですが、実は私た

 

ちは様々な生き物として、多くの生ま

 

れ変わりを繰り返してきたのです。迷

 

いの世界での生まれ変わりを終え、す

 

べての苦悩から解き放たれた存在「仏」

 

に成るための教えが仏教です。お釈迦

 

さまのように、この世で仏に成ること

 

は出来ませんが、極楽に救われるため

 

のお念仏を称えることはできます。極

 

楽は確実に成仏できる世界です。お釈

 

迦さまは、成仏の手段として、極楽や

 

阿弥陀さまの存在を私たちに教えてく

 

ださいました。阿弥陀さまは「我が名

 

を呼べば必ず救う」とおっしゃってい

 

ます。南無阿弥陀佛とお名前をお呼び

 

すれば極楽にお救いくださるのです。

 

共々に極楽に救われることを願ってお

 

称え致しましょう。

 

 

 

2016.16

 

 

 

 多くの生まれ変わりを経て、ようや

 

く私たちに成仏の機会が巡ってきたの

 

です。この好機を無駄にせず共々に極

 

楽にお救いをいただき、成仏を目指し

 

ましょう。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

| 法藏院住職 | 22:43 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
歩みの はやさ それぞれ

 

 

 

ayumi  

 

 

 

 

 春分の日と前後三日を合わせた計七

 

日間を春のお彼岸と申します。彼岸と

 

は、仏さまの住む世界のことを意味し

 

ます。浄土宗におきましては、阿弥陀

 

さまのおられる極楽のことを彼岸とし、

 

普段にも増して極楽に救われることを

 

願ってお念仏に励む念仏強化週間とし

 

ております。  

 

 

 

 

 南無阿弥陀佛とお称えし、阿弥陀さ

 

まにお救いをいただき、極楽に生まれ

 

るというのが、浄土宗の御教えです。

 

言わば、極楽が私たちの目的地です。

 

ただし、道のりは人それぞれです。早

 

く往かれる方もあれば、ゆっくりと歩

 

まれる方もおられます。たどり着かれ

 

る順も違えば、御教えを受け取られる

 

タイミングも違います。すぐに受け入

 

れられる方もいれば、疑う心が強くて

 

時間のかかる方もおられます。しかし、

 

極楽を目指してお念仏を称えていれば、

 

阿弥陀さまを信じる心は自ずとそなわ

 

って参ります。阿弥陀さまが私たちの

 

心を育ててくださるのです。まずは共

 

々にお念仏に出逢えたことを悦び、お

 

称え致しましょう。疑いの心があって

 

も構いません。称え続けることによっ

 

て信じる心は必ずそなわって参ります。  

 

 

 

 

道

 

 

 

 

 誰しも最初から信じきれているわけ

 

ではありません。もちろん私も不安な

 

気持ちのままお称えしておりました。

 

しかし、今は心から阿弥陀さまを信じ、

 

お念仏を称えております。信じること

 

ができたのは日々のお念仏の賜物です。

 

まずは、一日に十遍のお念仏をお称え

 

ください。そのお念仏は、間違いなく

 

彼岸への第一歩となります。

 

 

 

合掌 南無阿弥陀佛

 

 

 

 

| 法藏院住職 | 21:25 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

Calendar

      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< December 2018 >>

Profile

Search

Entry

Comment

Archives

Link

Feed

Others

無料ブログ作成サービス JUGEM

Mobile

qrcode